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令和6年9月8日(日曜日)午後1時に群馬県LINE公式アカウント「群馬県デジタル窓口」にてアンケートを配信しました(募集期間:令和6年9月8日から9月11日まで)。たくさんのしんどい体験を語っていただき、本当にありがとうございました。
このページではみなさんのアイデアを紹介します。今回はしんどい時を超え、今まで過ごしてきた皆さんの体験が中心です。
今まさに『しんどい』が続いている方々へ。
状況は人それぞれですが、乗り越えてきた方の体験から、一緒にヒントを探してみませんか?
少しでも「悪くない」と思える日々が訪れますように。
お悩みごとに以下リンクから飛ぶことができます。
ここから下はみなさんのしんどい時を過ごした体験談です。
※全ての体験を紹介しきれず申し訳ありません(どれもしっかり目を通しております)。
原則として原文のままご紹介しています。文字数等の都合上、内容を一部抜粋しているものもございます。
学生時代、人と上手く関わる事ができず友人と呼べる友人が段々と少なくなっていき1人で過ごす事が増えた時期がありました。そんな時、図書室で好きな絵本、小説、漫画を読み、その世界に気持ちを飛ばして悲しさや虚しさ、できないことの自身への怒りなどの気持ちを落ち着かせていました。本は色々な事を教えてくれます。それは、知識だけじゃなく、時にはつらい事があった時に自分を勇気付ける言葉だったり、悲しみに寄り添ってくれたりする、心の安定剤みたいな物です。(20代・女性)
学校を休んで気分転換をしました。ちょっとしたズルをすることがいいと思います。(40代・女性)
中学生、高校生時代といじめられていました。高校は女子校だった事もあってか、髪を勝手に切られたりつらい目に合いました。それ以上に辛かったのは、他のグループの子に友達の輪に入れてほしいと、勇気を持って話をしたら断られた事がショックでした。何故か、中学生時代も高校生時代も死にたいと思ったり、死のうとした事はありませんでした。私の心の支えは部活でした。放課後の部活が私らしく居られる場所だったんです。(40代・女性)
正直なところ、私の人生は幼少期から「しんどい」続きでした。健康的にしんどかった時は医師に言われたように過ごしてただ耐えるしかありませんでした。でも小児病棟で私以上に重病な人を見ていたので「私はまだまだ耐えられる」と自分に言い聞かせてただ耐えました。一番しんどかったのはその病気を理由にいじめられていた時でしょうか。小学生の時でした。他の人と同じ生活ができないことでいつも悪口やからかいの対象でした。その時は本当に辛くて母に「生まれてきたくなかった」と言って母を泣かせてしまったこともあります。でも耐えるしかないので泣きながら耐えました。そうすると「すぐ泣く」といって更にいじめられたのですが。高学年のある日の掃除の時間いつものように悪口を言われていたときについに我慢の限界が来た私は今まで心にためていたことを全て大声で吐き出しました。病気がどれ程つらいのか。いつもおとなしく泣いてばかりいる私が大声で吐き出したことにびっくりしたのか皆棒立ちになって私の話を聞いていましたが幸いにもその中の1人が小学生とは思えないしっかりした態度で頭を深く下げて丁寧に謝ってくれました。この時に自分の意見をはっきり言うことが大事だし、言えば理解してくれる人もいるということを学びました。いじめの主犯はここにいなかったのでその後もいじめは続いたのですが既に心は救われていたので「耐えること」から「相手にしない」ことに気持ちを切り替えることができていたと思います。更に仲良くしてくれる人もできたので孤立することはありませんでした。(50代・女性)
大学時代に夜更かし体質になり、そのまま就職。2年目に急に精神面にガタが来て、身体は元気なのに職場にまったく行けなくなってしまいました。同僚の連絡にも返事ができず、布団にうずくまる日々。罪悪感を抱えつつも、そうすることしかできませんでした。「このまめじゃだめだ!外に出なければ!」と一念発起した私は、平日の早朝の電車、職場と逆の方向に乗って、高尾山に向かいました。サラリーマンや学生が行き交う中に混じり、ハイカー姿でうろうろするのは少し恥ずかしかったですが、誰も私のことは気にしません。そうか、自分はここではただの登山者で、職場に行けずに鬱屈としていたことなんて誰も知らないんだ。そう気づいた途端、足取りが軽くなった気がしました。頭をからっぽにして目の前の道を登って下って歩き通して、高尾山口に着いたのは13時すぎ。仕事も生活もまだ変わってないけど、「山を歩き通した」というひとつの達成感をしっかりと得て、その日はぐっすり眠れました。翌日から少しずつ職場に復帰して、生活リズムも整っていきました。家でも職場でもないところで、ひとり黙々と山登り。今でもあの日のことは自分の中のターニングポイントだと思っています。(20代・男性)
仕事でうまく上司とコミュニケーションが取れず、何度も同じ指導をうけてしまい、怖い利用者様から責められ、うつ傾向になる事がありました。それを何とか乗り越えたのは、妻と話せていた事と母親からの助言があった事、カラオケでストレス発散していた事、適度に運動していた事が良い効果を生んだと考えています。(30代・男性)
現在の職場で、職場イジメにあいました。(現在進行系で)その際に、全てを悲観し正直命を絶とうとまで考えましたが、その時に隣で眠る子供の顔をみた時に死ねない。そして死ぬくらいならこんな底辺なイジメをする会社辞めればいいんだ!と吹っ切る事によりモチベーションが上がりました。まさに逃げるが勝ちだな。と思いながら今は辞めるための準備として、自分がされている全ての嫌がらせにメモを取り今後の辞める時のご報告として残してあります。(30代・女性)
職場に嫌な先輩や同僚がいて、いちいち癪に障るようなことを言われて、むかついていたが、仕事が終わった後に、キックボクシングに行って、そいつらの顔を思い浮かべながら、サンドバッグをたたいてストレス発散していた。(40代・男性)
オーバーワークで心と体のバランスを崩し、転職を迷っていました。17年勤めた会社の転職に勇気が出ず、実家の父に相談。唯一転職を後押ししてくれた父に沢山アドバイスをもらい、心が軽くなりました。親身になってくれる身内に相談して良かったです。(40代・女性)
人格否定等により前職で限界を迎えた時、乗り越えるよりも退職し、逃げることを選びました。自信も自己肯定感も消失しておりましたが、今の職場ではうまくやれています。逃げることも大切であると学びました。(40代・男性)
仕事でのトラブル。クレームで眠れなくなった。無になれるように、開き直りも大切との思いもあり。休みに1日温泉とサウナで心身ともにリフレッシュした。(40代・男性)
仕事帰りにコンビニの駐車場で振り返り。家には仕事を持ち帰らず休みの日にゆっくり休む。(50代・男性)
若い時職場の先輩や同僚に6年間無視されました。先輩の機嫌が治るまで毎日会社に行くことが嫌で嫌でたまりませんでした。当時はメンタルヘルスケアなどの取組もなく、ただ耐えるだけの日々でした。毎日会社から帰って来てお風呂の中で泣いてました。周りには微塵も感じさせないよう努力し普通に振る舞っていたので、悩んでいたことは誰も知らなかったと思います。事をこれ以上大きくしたくなかったという気持ちがありました。6年を過ぎたころから私の味方になってくれている同僚や後輩が多くいることに気づきました。私が先輩から無視されたりひどい態度を取られても普通にしていることで、逆に先輩と先輩を取り巻く同僚が周りから敬遠されるようになりました。その頃からお風呂で泣くこともなくなり、多くの同僚と楽しく仕事をすることが出来るようになりました。ずっと自分のことしか考えられなかったのですが、周りを見渡すことができた時、嫌な気持ちを少しでも忘れさせてくれる人が周りにいるんだと気づきました。その後、無視していた先輩も同僚も普通に話しかけてくれるようになりました。確かなきっかけはわからないのですが、嫌がらせをしている人のペースに巻き込まれないように(実際には巻き込まれていましたが)振る舞えたことがよかったのかな、周りの人一人でも自分のことを見てくれているんだなと気づけたことが良かったのかな思います。時間が解決といえばそれまでですが、長い期間人間関係がうまく行かないことはつらい思い出の一つです。(50代・女性)
知らないところで話が進んでいて、話が来た時には断りづらい状況になっていたが、意をけっして断りました。出張の件ですが。なんど、事前に連絡を下さい、と御願いしてもかわらないので気にしないことにして過ごしています。(50代・男性)
職場の人間関係で悩み、仕事のオーバーワークも重なり、気持ち的にも【しんどさ】を日々感じつつの就労時間中…。その工夫は…。その場を離れられる暗黙の了解が得られるコト。それはトイレタイム!一般に生理現象でもあるし、サボるって訳ではなく、【しんどい時を乗り越える工夫】として私は、トイレに行く。トイレ個室で溜め息をしつつ水を流したり、石けんで泡立て流水で手をよく洗う等。気分サッパリ、混沌としていてもリフレッシュの工夫で乗り越えてまた今日がある。(50代・女性)
職場の人間関係のストレスで、19キロ痩せて病んでしまい、心療内科へ通っていました。休職を勧められ、3ヶ月休み、原因から離れたら少しずつですが、良くなりました。仕事中心の生活だったので、休んだら逆にダメになってしまうと不安でしたが、休んで良かったです。休みの間は、特に何もせずに、起きたいときに起きて、そのうち散歩をしたり、景色の綺麗な所へ行ってみたり、1人で美味しいランチヘ行ってみたり、今は復帰して別の部署で働いています。まだ、しんどい時はありますが、処方された薬を飲み、無理をしないようにしています。本当は、話せる相手がいたら、もう少し楽になるのかもしれません。なので、心療内科の先生でも良いので、話を聞いてくれる人を見つけてください。死んでしまいたい、と涙したこともありましたが、何とかなりました。まずは、原因から離れること。誰でも良いので、話を聞いてくれる人がいること。私は、猫と暮らしているので、動物もオススメです。(50代・女性)
今から10年以上前…まだ社会でパワハラが騒がれない頃、職場のパワハラみたいなことで、毎日悩んでいました。そんな時先輩から、悪いことは長く続かない、今が一番悪い時期、これからは良いことも必ずあるからと、励ましてくれました。それから数年後、パワハラのようなことをしていた人は、人事異動で全く関わらない職場へ行ってしまいました。今では、なんであんなに悩んだろうと笑って話せます。励ましてくれた人にも感謝です。今悩んでる方へ…きっとよい日がきますので、じっと待ちましょう。(60代・男性)
10年以上前に気が付かないうちに鬱病になり動けなくなりました。病休で一年休み復職。通院とボーット休んでいました。仕事場のフォローと妻の介護で回復しました。原因は仕事に対する完全主義の私の責任。それに気付き手を抜く事を学びました。部下にもずる休みをするように指導しました。辛くなったら手を抜く事も必要。代わりは何処にも有る。部下にポジションを取られるのでは無く、他人が私をフォローできる様に育てる事が大切。(70代・男性)
妊娠中の体がしんどくて、動けなくなって暫くすると、精神的にも参ってしまいました。助産師会にメールをして、行政に繋いでもらい、病院にも連絡してもらえました。入院して回復しました。(30代・女性)
仕事や育児が辛くなったら母に相談して母ならどうするか?などのアドバイスをしてもらいました。それと可愛い娘と一緒にいてパワーをもらいまた気持ちを新たにしてポジティブに過ごすようにしました。(30代・女性)
子どもの不登校、小学から中学。言うのも言われるのもお互い嫌だろうなと思い「もう、いくら考えても無理なものは無理」と思い「なるようにしかならない」と思うようになったら心が楽になり子どもの接し方も変わりました。今では行き詰まったら「なるようにしかならない」と思うようになりました。(40代・女性)
子供がつらい時なかなか力になれず私まで気持ちが沈んでた時期がありました。今思えば子供は経験を通して自らの生き方を学んで成長していた時期でした。その時は子供自身の感情や子供の人生と自分の事を混同してしまってたと気がつけます。何が起きても独りぼっちじゃなければ何とかなるし、良いことも悪い事もフラットな気持ちで受け入れればいつかは人生の糧になるのだと学べました。そして今まで当たり前だと思っていた日常に物凄く沢山の幸せが溢れていることに気が付きました。あの時の辛かった体験があったからこそ小さなことを幸せと感じられる私たち家族に成長出来たのだと感謝です。(40代・女性)
体調不良の時に休む事も出来ず子供の世話や家事を一人でこなすのはつらかった。周りに頼りになる人がいないと自分がやるしかありませんでした。でも限界になって、出来無い事は出来ないと開き直り最低限の事だけしました。私の場合は子供の世話だけ、まだ、生後間もなかったのでミルクをあげておむつを変える。後は子供と寝て躰を休め家事は全くしませんでした。そんな私をみて主人も自分の事は自分でと思ったのか食事の用意や洗濯をしてくれました。この時、思ったのは頑張り過ぎない事。必ず助けてくれる人がいる。今は親族以外にも頼れる所がたくさんあると思うので本当に大変な時は頼って良いと思います。(60代・女性)
両親の介護 常にしんどく感じます。それぞれ介護施設入居、長期入院になったので実労自体の負担は軽減されました。両親の気持ちを鑑みる事をなるべくしない事。老ていく姿を見て同情しない事。(40代・男性)
旦那の親の介護で、食欲が落ちるくらいになった時に自分の好きな歌手の曲を聴いてました。また、仕事を休まずいたのも良かったです。家に閉じこもってると気分が更に落ちてどうにかなりそうなのを、職場に行って周りに話すだけで嫌なことを忘れられました。(40代・女性)
生前の父の介護が大変でした。老老介護をさせたく無くて頑張りすぎてしまいました。市内ですが別居なので勤めながら日に3回通いほぼ全ての介護をしていました。1番大変だった時は何回も呼び出されて睡眠もままならなかった時で、下の世話も入れ歯を洗うのも辛かった。父を介護しているのでは無くて、未来の自分を介護してると思って乗り切りました。子育てと違い終わりが見えないから余計に大変でしたが、亡くなった時もその後も、十分に介護できた自信があったけれどホッとしたのと寂しいのとで半年くらいは生きた心地がしなかったです(50代・女性)
親の介護や仕事で思うようにいかなくてイライラしたり脱力感に襲われたりしましたが、休日の月1回ぐらいは1人の時間を作り日帰り温泉で限られた時間のんびり過ごしています。(50代・女性)
認知症になった両親の介護・・・。まだ継続中ですが・・・。話を聞いてもらう、自身の心の健康のため。(なかなか初めは人に言えないんですよね)同じ経験者がいっぱいいていろんなヒントをくれます。自治体のサービスを利用する。(60代・女性)
再婚相手の夫からのDVと連れ子への虐待で、別居(避難)しました。行政のDV窓口やNPOなどの機関、友人や家族に支えられました。(40代・女性)
約10年前に母が脳梗塞で倒れ、その母を毎日病院で看病していた父が先に癌にて逝ってしまいました。その時はとても、キツかったです。幸いにも兄弟3人いてお互い励ましあいながら乗り切りました。現在、母は施設にて健やかに生活しておりますが少し寂しく思います。本当にきつい時は声をあげて助けてもらう事も有りだと改めて思いました。(50代・男性)
息子が3度も脳梗塞発症して先が無いかもと思われた時に好きなテニスに声を出して大丈夫大丈夫と自分に良い暗示をかけてプレーに集中出来てス~ト楽になりました。夫がなくなった時は寝る際に癒やされる音楽を涙しながら眠りつつ、いつの間にか楽になりました。(70代・女性)
メンタルが壊れかけた時、今の推しに出会って救われた!(10代・女性)
何をするにも気力なくなり、味覚もなくなり、眠れなくなるなんて時があり、いつも助けてくれる周りの親世代の先輩から、「こういう病院もある。一回休みを取って、相談行っておいで。」と優しく教えてもらいました。昔は恥ずかしいかもと思ってたけど、スッと行く気になり、そのお陰で今でも通院しながら症状が少しずつ、でも着実に改善していっていると感じてます。症状が出てきたら、まずは気軽に相談感覚で受診することが大事だと思います。(20代・男性)
死にたいとき、ただひたすら泣いてスッキリした。ぬいぐるみに話を聞いてもらった。手帳に、今日あったこととして、「ひたすら泣いていた」と「ぬいぐるみに話を聞いてもらった」とだけ、記入してまた布団で泣き、夕方、夜とただ何もせず布団の中で泣きながら生きて、朝を迎え、憂鬱なまま昼まで過ごし、起きられたらトイレに行き、また布団に戻ってきて、ぬいぐるみに「トイレに行って来たよ」と言い、寝られそうなら昼寝をし、夕方に起きて、顔が洗えそうなら洗い、化粧水と乳液をぬり、手帳に「顔を洗った」「化粧水をつけた」「乳液をつけた」と書いてはなまるをつけ、また布団で泣き、夕飯が食べられそうなら食べる。それで、ぬいぐるみに「夕飯が食べられたよ」と言って、手帳に夕飯が食べられた、と書きはなまるをつける。ひとつひとつ、何かができたら手帳に「これができた」と書き、はなまるをつける。私のつらいときのすごし方はこれです。あとはただ布団で泣くか寝る、それに限ります。(20代・女性)
仕事量や上司からの圧力に耐えられなくなり、心身を病んだため、仕事を3ヶ月休職して、散歩やピアノ、昼寝やプチヨガを満喫した。(30代・女性)
今回のアンケートのリンクからアクセスしたら群馬県のサイトに、SNS相談窓口「こころのオンライン相談@ぐんま」というものがあるのを知った。LINEだったので気軽にお友達追加した。そして相談してみた。「死にたい」って思ってること隠して、隠せてしまって、人前では笑顔を作ってしまう。笑顔が作れてしまう。「死にたい」って言いたい。そう思ってることを打ち明けたい。でも精神科のドクターにしか話せない。この相談窓口で50分ぐらい、LINEのメッセージでお話した。電話じゃないから話しやすかった。死にたいって思ってること、言えるだけで、話す相手がいるだけで、少し楽になった。今日を乗り越えられた。感謝。(40代・女性)
難病の治療に行き詰まり困り果てた時、県の難病相談支援センターの相談員さんに救われました。とても親身になっていただき、様々な事を助けていただき、教えていただきました。あの時寄り添っていただいた相談員さんに出会えた事、難病相談支援センターの存在に、今も心から感謝しております。(50代・女性)
うつと診断されてはいましたが、何もやる気にならない 家族でさえ一緒にいるのが嫌!1人になりたいがありましたが、ひたすら1人で寝てました。公園や河川敷公園などの人の少ない所へ行き、ぼーっと景色眺めてるのもよくやりました。眺めてるだけで不思議とやりたい事が出来たり、何か食べたくなったりの効果がありました。(50代・女性)
私も、うつ病体験者で障害当事者です。しんどいとき、最初は何もできませんでした。乗り越えられたのは、同じ当事者の仲間や知人に話しを、聞いて頂けて状態を理解してもらえたことだと思います。少し気持ちが落ち着いてきた頃に信頼できる周りの人に話す事で気持ちが楽になることも多くあります。(60代・男性)
うつ病発症の時、家族や周りの人たちの温かい気遣いや思いやりのある言葉に助けられました。(60代・男性)
今まで普通に話ができていた人から急に無視されるようになり人間関係に悩むことがあったが、他の友達と話したり、その人のことを視界からはずすようにして、気にしないようにした。(40代・男性)
誰かのせいで自分が嫌な気持ちになるなら、もうその人と離れよう。きっと、今の関係が終わることがこわいかもしれないけれど、案外あっさり終われるもの。相手にとって自分がどんな扱いされてたのも気づけるかもしれない…自分のことを大切にくれる人を、自分も大切にしていこう!自分のことを一番に大事にして、ハッピーになれる環境を作っていくことも大事!!(40代・女性)
人間関係でしんどい時は相手に対して″期待をしない″様にしました。相手は自分とは全く違う生き物、と、自分に言い聞かせ、嫌な言葉を浴びても「そんな思考になってしまうのは可哀想」と思ったり。相手が傷つくとか想像出来ない行動や言動をする人たちにそうされても自分は「ああにはなるまい」と反面教師的に自分の中で消化していきました。あまりその事ばかり考えないように仕事中は仕事に集中してました。忙しかったので移動中に自分の好きなアーティストの曲を聴いたりしました。時が経てば いつかは解決する。と心の中でずっと思ってました。自らその人たちと、距離を置くように遠ざける努力をしました。(50代・女性)
ある人から理不尽な攻撃を受けて、とても不安でツラかったとき、信頼できる人に、たっぷり話を聞いてもらいました(50代・女性)
友達が全員敵に見えて、何も信じられなかったとき、一人でもいんじゃないかと自分に言い聞かせた。そして、足元のできることから、少しずつ片付けていったら、気付いたら、何を悩んでいたのかもさえも、忘れていました。何でも良い、落ち込んでなにもしないと悪い方へと気持ちがすすむから、とにかく、別の何かに気を向ける努力をしてみて。何しないも始まらない、どんな小さなことでも良い、自分の気をいまの所からそらせる努力をして。(60代・女性)
地域活動のトップを担わされ、重圧で辛くて涙が止まらない日々の中、SNSの友人から人生に無駄なしと言う言葉を掛けてもらい乗り越えました。その後も何かつらい時にはその言葉を唱えます。(50代・女性)
嫌なことがあってしんどい時は、信頼できる人と話をしました。そうすることで頭の中を整理でき、結局自分はどうしたいか、何をすることが人のためになるのか等を考えることで、しんどいことと少し距離を置くことができたり、落ち着いて状況を再度考え直すことができました。(30代・女性)
上手く行かないことがあったとき、日記に書いて振り返るようにしている。頭の中だけで考えていると、考えが堂々巡りになってしまうので、文章にして客観的に振り返るようにしている。また、本当にしんどかった時は、カウンセリングも利用した。否定されずに一緒に考えてくれる人がいる事はありがたいと思う。(40代・男性)
ひとつ乗り越えると目の前に大きな壁が次々と現れ正直なところずっと人生に疲れています(母の死やら病気の子のワンオペ育児やら仕事の継続が不可能になったことへの絶望等々)。が、何とか乗り越えてこられたのは「つらいときにはつらいと言っていい」「理解してくれる人も中にはいる」「自分よりも大変な人も頑張っている」という気持ちがあったからだと思います。また「○○しなきゃ!」と頑張っているときに少し冷静になって「○○しなくても良いんじゃない?」と考えることができるようになったことも乗り越える上で大きな進歩だと思います。後はよくある話ですが「神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない」という言葉でしょうか。あぁ、神様にターゲットにされたわ…と思って乗り越えています。今は公的機関に相談窓口がたくさんあるのでつらい人はどんどん相談(というよりも打ち明け話?)をすればいいと思います。吐き出すことは本当に大事です。相談を受ける方も本当にそれを受け止めることは大変だと思いますがカウンセリングマインドでよろしくお願いいたします。(50代・女性)