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上信自動車道吾妻東バイパス事業に伴い発掘調査している吾妻郡東吾妻町の下郷古墳群で、古代の道路状遺構が発見されました。この道路状遺構は、当時の建物の部材を道の構築材として転用しており、国内でも発見例の少ない遺構と考えられます。
吾妻郡東吾妻町川戸
7世紀~10世紀
道路状遺構は、谷地を横断するように東西に延びています。谷地の部分は地盤が軟弱なため多数の木材や杭、大型の礫などを用いて強固な基礎が築かれています。その木材の中には当時の建物の部材や農具等の廃材が含まれていました。建物の部材を転用して道路の基礎を構築している事例は、国内でも例が少なく貴重な発見と考えられます。
公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団調査部
〒377-8555 群馬県渋川市北橘町下箱田784-2
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道路状遺構は、調査区内を西から東に延びており、途中で小さな谷状の低湿地を横切っています(写真1)。この低湿地では、軟弱な地盤を補強するため、多量の木材やカヤ、大型の礫などを埋め込んで道路の基礎を築いていました(写真2)。
道路の構造は、基礎に4メートル程の幅に木材を並べ、両側を杭で固定していました(写真3)
木材は縦長の丸木や建築部材を転用した板材で(写真4)、部分的に井桁(いげた)状に組んでいる箇所も見られました(写真5)。木材は整然と並べられており、木材と木材の間やその上には、カヤもしくは篠竹のような植物を敷き詰め(写真7・8)、さらに木材や礫、粘土などを重ねて道路の基礎を構築していました。
このような植物を敷き詰める工法は敷粗朶(しきそだ)・敷葉(しきは)工法といい、植物の枝や葉を敷き詰めた上に土を盛ることで土を滑りにくくしたり、土中の水を逃したりする効果があります。
敷粗朶(しきそだ)・敷葉(しきは)工法は古代から用いられている工法で、大阪府の狭山池(飛鳥時代~奈良時代)などで確認されていますが、今回発見された道路状遺構のように建築部材を転用して道路の基礎とする事例は、これまでのところ国内でも発見例が少なく貴重です。
このような基礎を築いた上に、さらに砂質土を盛って路面を作っていました。堅く締まった路面が複数面で確認されたことから、造成と改修を繰り返しながら数百年にわたって使用されてきたことがわかりました。
また、道路の基礎部分では、大型の礫を使った暗渠(あんきょ)も確認されており、山側の水を集めて下流にながしていたと考えられます。
道路状遺構が低湿地に築かれていたことから、見つかった木材などは地下水に浸かっており、通常は腐って失われてしまう木質の遺物が大量に残されていました。木材の中には、当時の建物に使用されていたと考えられる建築部材や農具等が含まれています。
建築部材は、高床建物(たかゆかたてもの)の部材と考えられるもの(写真6)が含まれていますが、材の状態は良好で、建物の部材として十分に再利用可能な状態でした。そのような利用価値の高い部材をわざわざ道路の基礎にするなど、贅沢な使い方がうかがえ、それだけ重要な道路であったと考えられます。
また、建築部材が良好な保存状態で出土することは珍しく、今回出土した木材は、当時の建築物を復元する上で、あるいは建築技術を考える上での重要な資料といえます。
下郷古墳群では、現在県道となっている地区(図1)の平成24年度の発掘調査で、門と塀によって区画された古代の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)4棟が発見されており、この地区には、古代の役所のような重要施設があったと考えられています。遺跡の東には古代の寺院である金井廃寺(かないはいじ)の推定地があり、中間にある水頭(すいとう)B遺跡でも、この道路状遺構と一連と考えられる遺構(写真11)が確認されています。このことから、今回の道路状遺構は、この地域において古代の重要な施設を結ぶ幹線道路であった可能性が考えられます。
図1 下郷古墳群位置図
写真1 道路状遺構全景
写真2 木材の出土状況
写真3 杭で固定されている状況
写真4 整然と並べられていた木材
写真5 縦に並べられた木材と、直行方向に置かれた丸木
写真6 台輪(だいわ)(高床建物の部材)
写真7 カヤもしくは篠竹と思われる植物の出土状況
写真8 敷粗朶(しきそだ)の調査状況
写真9 基礎材(礫)の調査状況
写真10 基礎材(礫)の調査状況
写真11 水頭(すいとう) B遺跡の道路状遺構