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上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)・上野国分尼寺跡(こうずけこくぶんにじあと)
更新日:2012年8月2日
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(上野国分寺跡 1926年(大正15年)国指定史跡)
1 所在地
高崎市東国分町・引間町~前橋市元総社町
2 性格
741年(天平13年)に聖武天皇が発願し、全国68ヶ国で建立された官立寺院のうちのひとつです。造営は国司の監督のもと、地元豪族が協力して実施されました。
3 年代
聖武天皇発願から間もなく造営着手と推定されます。文献資料によると、11世紀前葉には金堂・塔などが残存していました。14世紀の南北朝時代までには、廃絶と推定されます。
4 内容・特色
(1)上野国分寺(僧寺)・上野国分尼寺の立地
- 上野国分寺(僧寺)と上野国分尼寺は、律令制下の群馬郡に所在し、現在においても群馬県のほぼ中央部にあります。
- 上野国分寺(僧寺)と上野国分尼寺は、約500メートルの間隔をおいて、東(尼寺)西(僧寺)に並び立つように計画されました。
(2)上野国分寺(上野国分僧寺)
- 1980年(昭和55年)から発掘調査により、南大門・塔跡・金堂跡・講堂跡など伽藍の概要が判明しました。なお、寺域は、東西約220メートル・南北約235メートルです。
- 七重塔跡の規摸は、基壇の規模が1辺64尺(19.2メートル)で、高さは60.5メートルと推定されており、全国の国分寺の中で最大規模です。
(3)上野国分尼寺
- 上野国分寺(僧寺)跡の東方約500メートルのところに上野国分尼寺跡が区割りとして残っています。
- 1969~1970年(昭和44~45年)に範囲確認調査が行われていますが一部のみであり、全容は明らかになっていません。
史跡上野国分寺跡 七重塔跡復元基壇
史跡上野国分寺跡 金堂跡復元基壇
史跡上野国分寺跡 南辺復元築垣
史跡上野国分寺跡 七重塔復元模型(史跡上野国分寺跡ガイダンス施設展示)