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古代の「大国」上野国(こうずけのくに)
古代行政制度と上野国
畿内・七道
律令政府は全国支配にあたり、畿内と七道の8つの地区に分けて、それぞれ国を分置しました。
(ア)畿内
山城・大和・河内・摂津・和泉(「五畿」といわれることもあります。)
(イ)七道
東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・西海道・南海道
(ウ)上野国が所属する東山道諸国
近江・美濃・信濃・上野・下野・陸奥・出羽
上野国内の郡
(ア)701年(大宝元年)の大宝令による上野国13郡
碓氷(うすい)・片岡(かたおか)・甘楽(かんら)・緑野(みどの)・那波(なは)・群馬(くるま)・吾妻(あがつま)・利根(とね)・勢多(せた)・佐位(さい)・新田(にふた)・山田(やまだ)・邑楽(おはらき)
(イ)711年(和銅4年)の上野国14郡
甘楽郡・緑野郡・片岡郡の3郡から6郷300戸を新たに多胡郡としました。
上野国府
平安時代中期に編纂された我が国最古の百科事典である「和名類聚抄」(わみょうるいじゅしょう)によると、国府は群馬郡に所在しました。具体的な遺跡自体はまだ発見されていませんが、前橋市元総社町一帯にあったとする考え方が有力です。
国の等級
(ア)律令政府は、諸国をその国力により、大国(たいこく)・上国(じょうこく)・中国(ちゅうこく)・下国(げこく)の4ランクに格付けをしました。
(イ)10世紀に編纂された「延喜式」(えんぎしき=平安時代中期に編纂された律令の施行細則集成)によると、全国68ヶ国のうち、大国は13ヶ国、上国は35ヶ国、中国は11ヶ国、下国は9ヶ国でした。
畿内 | 大和国、河内国 |
---|---|
東海道 | 伊勢国、武蔵国、上総国(※注)、下総国、常陸国(※注) |
東山道 | 近江国、上野国(※注)、陸奥国 |
北陸道 | 越前国 |
山陽道 | 播磨国 |
西海道 | 肥後国 |
(備考)(※注印は親王任国)
(ウ)上野国は、当初は上国でしたが、811年(弘仁2年)に大国に昇格しました。
(エ)上野国は、826年(天長3年)、上総国・常陸国とともに、国守に親王を任ずる親王任国(しんのうにんごく)となりました。
駅路(えきろ)
(ア)駅路とは、古代国家が設置した都と七道諸国の各国府を結ぶ幹線道路のことをいいます。
- 東山道諸国の国府を結ぶ駅路は、東山道駅路(とうさんどうえきろ)と称しました。
- 奈良時代の後半まで武蔵国は東山道に属しており、現在の太田市付近から武蔵国府に向かって東山道武蔵路(むさしろ)が分岐していました。
(イ)駅路は、都からの最短距離を得るために、山間地などを除いて直線を基調に建設されました。ところによっては都府県市町村字界など、現在の地割りにまで影響を及ぼしている場所もあります。
(ウ)上野国の所属する東山道の駅路は、近江、美濃、信濃、上野、下野、陸奥の順で都から各国府(陸奥国府は当初は現在の仙台市内、後に多賀城に移る)を結びました。
(エ)北関東自動車道建設に伴う発掘調査によって、太田市金山丘陵の北で高速道路の路線と重なりながら東山道駅路の遺構が発見されています。
主な文化財
- 上野三碑(多胡碑・山上碑・金井沢碑)(高崎市)
- 山王廃寺跡(前橋市)
- 上野国分寺跡・上野国分尼寺跡(高崎市・前橋市)
- 塔婆(石造三重塔)(桐生市)
- 上野国府跡(前橋市)
- 上野国新田郡家跡(太田市)
- 上野国佐位郡正倉跡(伊勢崎市)
- 金井廃寺遺跡(吾妻郡東吾妻町)