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【平成28年11月16日付け】金井下新田遺跡に関する報道提供資料
更新日:2017年3月28日
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金井下新田遺跡で「金井馬」発見!!火砕流中から出土した古墳時代の人歯及び馬骨について
1 出土遺跡の概要
- 遺跡名:金井下新田(かないしもしんでん)遺跡
- 調査要因:国道353号金井バイパス(上信自動車道)道路整備事業に伴う調査
- 委託者:渋川土木事務所
- 調査主体:公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
- 調査期間:平成28年4月から平成29年3月まで(予定)
2 内容
- 渋川市金井下新田遺跡1区で、6世紀初頭の榛名山噴火に伴う火砕流堆積物で埋没した5号竪穴建物から、古墳人の歯と馬2体(1号・2号)が発見されました。また、6号竪穴建物からも馬とみられる獣骨1体が出土しています。
- 馬はいずれも、頭骨と四肢骨の一部が残存しており、火砕流中に四肢を伸した状態で埋まっていました。また、胴体に当たる部分には上層の火砕流が落ち込み、馬体の形に土の変色がみられます。
- 1号馬:年齢は2歳未満の仔馬で、性別は不明です。馬体の左側を上にして建物中央から発見されました。
- 2号馬:年齢は3.5歳未満で、性別はメスの可能性があると見られます。馬体の右側を上にして建物の東壁際で発見されました。
- 6号竪穴建物獣骨:動物種、体高、年齢、性別その他については、現在調査中です。
- 古墳人の歯は2体の馬の間から発見されたもので、10代と推定される上顎(じょうがく)第2大臼歯1点が残存しています。また、歯の周囲の土が変色しており、人体の輪郭を示している可能性があります。
3 要点
- 古墳人の歯及び馬は、金井東裏遺跡の「甲を着た古墳人」と同様に、6世紀初頭の榛名山噴火で発生した火砕流で被災したものと見られます。
- 発見された馬は骨格だけでなく馬体の輪郭も残されており、どのような馬が集落内にいたのかを具体的に明らかにできる資料として、これまでにない画期的な発見です。
- 1・2号馬とも成長期にある若い馬であることから、遺跡地周辺で馬の繁殖、飼育が行われていたことが確実となりました。
4 公開について(終了しました)
- 平成28年11月18日(金曜日)午前10時から11時まで、報道機関に現地を公開します。
雨天の場合は現地公開を中止させていただきます。詳細は事業団までお問い合わせください。 - 調査工程上、一般公開はしません。
5 問い合わせ先
公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 電話:0279-52-2511
補足説明
- 馬は、繁殖や飼育の技術とともに古墳時代に大陸から日本にもたらされました。古墳時代の馬歯骨の発見例はありますが、全身骨格がわかる例は極めて少なく、大阪府四条畷市(しじょうなわてし)蔀屋北(しとみやきた)遺跡SK940や、長野県飯田市宮垣外(みやがいと)遺跡SK10の埋葬例などに限られます。いずれも足を曲げた状態で墓壙に入れられています。群馬県内では、高崎市剣崎長瀞(けんざきながとろ)遺跡で轡(くつわ)を装着した馬顎骨、渋川市金井東裏遺跡で馬歯3点が出土している例がありますが、金井下新田遺跡の「金井馬※」のように、馬体全体の情報がある古墳時代馬資料の出土例は国内初です。
※「金井馬」の名称は、金井下新田遺跡周辺域(金井地区)で古墳時代に飼われていた馬という意味で象徴的に用いた名称です。 - 古墳時代の馬生産については、畿内や中部高地で「馬飼い集団」の存在が明らかにされています。群馬県内では、高崎市域の丘陵地帯に5世紀中頃の「馬飼い集落」の存在が想定されており、渋川市子持山東南麓では馬の放牧地が6世紀中葉の軽石層の下から広範囲に発見されています。
- 古墳時代の馬については、遺跡出土の全身骨格及び渋川市白井遺跡群の馬蹄跡の統計的研究から、木曽馬に近い中形馬であったことが分かっています。
(写真1)5号竪穴建物馬骨出土状態全景
(写真2)5号竪穴建物馬骨出土状態(白丸:古墳人の臼歯)
(写真3)1号馬骨出土状態
(写真4)2号馬骨出土状態
(写真5)5号竪穴古墳人の臼歯出土状態
(写真6)参考資料(開田村木曽馬牧場、平成13年撮影)
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- 公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団<外部リンク>