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【名誉県民】牛久保 海平

更新日:2014年3月31日 印刷ページ表示

牛久保 海平(うしくぼ かいへい)
 明治38(1905)年7月26日~平成11年(1999)11月20日
 顕彰日/平成11(1999)年11月20日

事績

 明治38(1905)年7月、父鋭、母つねの二男として群馬県佐波郡豊受村(現伊勢崎市)に生まれる。
 大正11(1922)年県立高崎商業学校を卒業後、家業の染色業を継ぐため県立伊勢崎工業学校の色染科に入学し、1年間染色技術を学ぶ。
 卒業後は、兄弟の先頭に立ち家業に専念し、鋭い経営感覚と旺盛な研究心により染色のみならず、織物も扱う染織一貫工場へと事業を発展させた。
 しかし、昭和18(1943)年5月、戦時下での企業整備令により機械を供出し、廃業を余儀なくされ、同年にコンデンサー等の通信機器の製造に着手することを決意し、サンデンの前身である三共電器を設立した。
 戦後になって三共電器は、昭和23(1948)年に自転車の夜間ライト用の発電ランプを開発し、ふくろうマークで三共電器の名を全国に広めた。
 昭和33(1958)年には、業界初の中身の見える冷凍・冷蔵ショーケースの開発に成功、業務用ショーケースの生産に踏み切り数年にして業界首位の座を確保する。昭和36(1961)年には、噴水式ジュース自動販売機の独自開発に成功、その後も様々な仕組みの自動販売機を開発し、今日では、日米欧に生産と販売拠点を持つ世界有数のメーカーとなる。
 また、昭和38(1963)年にポット式石油ストーブの生産を開始、昭和41(1966)年には、世界で初めて部屋の空気を汚さない強制給排気式暖房機(FF式)を開発している。さらに、モータリゼーションの到来をいち早く予見、昭和45(1970)年、アメリカのミッチェル社とカークーラー用コンプレッサーの技術提携を結び、翌年から生産を開始した。
 昭和48(1973)年には、東京証券取引所第一部に上場し、昭和49(1974)年、本県企業として初めてアメリカに現地法人を設立、コンプレッサーの販売拠点を海外にまで拡大した。
 昭和51(1976)年、地元の産業振興と雇用の増大に貢献した業績が讃えられ、テキサス州名誉州民及びダラス市名誉市民として表彰されている。その後、シンガポール、オーストラリア、イギリス、フランス等海外に次々と生産・販売拠点網を築いた。
 昭和56(1981)年には、世界初のスクロール型コンプレッサーを開発し、翌年には、社名をサンデンに変更して世界に拠点を擁するグローバル企業としての基盤を固めた。
 その後サンデンは、地球環境の保全や資源の有効活用等の環境問題にも積極的に取り組み、省エネルギー型自動販売機の開発や特定フロンの全廃を実施したほか、環境機器を次々と開発、こうした取り組みは、国内外で高い評価を得た。特に平成8(1996)年には、特定フロンの使用を規制する法律が施行されたアメリカで、これに対応したコンプレッサーを業界に先駆けて開発したことに対し、アメリカ環境保護庁(EPA)より「オゾン層保護貢献賞」を受賞している。
 このように、地方の町工場が世界のサンデンへと一代で成長したのは、「知を以て開き、和を以て豊に」の精神のもと、卓絶した時代を見通す先見性と不断の研究努力による優れた技術開発、鋭い経営感覚に加え、責任感旺盛で温厚篤実な人柄によるものである。
 一方、企業家としてだけでなく、地域社会の発展のため社会貢献活動を積極的に行った。本県トップクラスの地元資本企業として、地域の雇用の創出や地域経済の活性化に大きく寄与したことは言うに及ばず、群馬県商工会議所連合会会長、伊勢崎商工会議所会頭として本県商工業の伸展にリーダーシップを発揮するとともに、群馬県公安委員会委員、群馬県総合開発審議会委員、群馬県雇用開発協会会長、群馬県国際交流協会副理事長のほか、幾多の公職を歴任し、産業経済の発展はもとより、県民生活の安定や暮らしの向上、芸術文化の振興、高齢福祉の充実や教育の向上、国際交流や地域メディアの推進等々その功績の数々は枚挙にいとまがない。

(平成12年10月13日群馬県報登載)

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