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平成26年にユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産一覧表に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、6月25日に5周年を迎えます。群馬が世界に誇る4資産の価値を知り、次の世代に伝えていきましょう。
当時描かれた「富岡製糸場と絹産業遺産群」(上段:富岡製糸場、下段(左から):田島弥平宅、高山社、荒船風穴)
※画像について
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、富岡製糸場(富岡市)、田島弥平旧宅(伊勢崎市)、高山社跡(藤岡市)、荒船風穴(あらふねふうけつ)(下仁田町)の4資産で構成される、近代の絹産業に関する世界遺産です。
4資産は、それぞれが養蚕または製糸の技術革新を行うとともに、連携して繭の品種改良を行いました。その成果は全国に広まり、生産量が限られていた生糸が大量かつ高い品質で生産できるようになりました。
その後、日本が開発した生糸の大量生産技術が世界に広まった結果、それまで特権階級の人のものであった絹は一般の人にも身近なものとなり、世界の人の生活や文化がさらに豊かになりました。
世界遺産を構成している4資産は、群馬が世界の絹文化に与えた影響を今に伝える証しです。
明治政府は、外貨を稼いで国力を増強するため、当時の主要な輸出品であった生糸を大量に生産しようとしました。そこで西欧の技術を取り入れた官営製糸工場の建設が計画され、1872(明治5)年に富岡製糸場が操業を開始しました。
この頃から日本の生糸の輸出量が増え始め、1909(明治42)年には世界一になりました。その後輸出量は急増し、1930年代には、世界全体に輸出された生糸の80%を日本産が占めるまでになりました。輸出量が急激に増加した背景の一つとして「富岡製糸場と絹産業遺産群」が連携して行った、繭の品種改良が挙げられます。
生糸が日本の主要な輸出品であった時代は、1955(昭和30)年頃まで続きました。群馬の蚕糸業は、日本の近代化に大きく貢献したといえます。
登録5周年を迎える世界遺産の価値を再認識してもらうため、県は今年度「次世代につなぐ世界遺産」をテーマに記念事業を行います。また構成資産を持つ4市町や関係団体と連携し、絹に関するイベントなどを一体的に情報発信することで、県内外の人に広くPRします。
さらに、来年3月のオープンを目指して、富岡市内に4資産の総合的ガイダンス施設「世界遺産センター」(仮称)の整備を進めています。
世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の価値や新しい見どころ、次世代へつなげる人たちの声を紹介します。