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文化財保護審議会 平成29年度第1回開催結果

更新日:2018年3月15日 印刷ページ表示

1 日時

 平成29年8月3日(木曜日)13時30分~16時

2 会場

 群馬県庁第一特別会議室

3 出席者

 戸所隆会長、村田敬一副会長、金澤好一委員、榊原悟委員、佐野千絵委員、染川香澄委員、野田香里委員、右島和夫委員、宮崎俊弥委員

4 事務局出席者

 笠原寛教育長、古澤勝幸文化財保護課長、青木道則次長
 文化財活用係:飯森康広係長、齋藤英敏指導主事、井野千春指導主事、橋本淳指導主事、小林正主幹、長谷川博幸指導主事、小堀高広指導主事
 埋蔵文化財係:桜井美枝補佐(係長)

5 開会

 13時30分 文化財保護審議会の開会

6 挨拶

  • 群馬県教育委員会教育長 主催者あいさつ
  • 群馬県文化財保護審議会会長 会長あいさつ

7 議事録署名人選出

 議長が今回の議事録書名人に野田・右島委員を指名。

8 傍聴人の報告

 事務局が、マスコミ取材0社であることを報告。

9 傍聴制限確認

 事務局から、部会報告と審議事項については非公開、その他については公開とする提案がなされ、委員に承認された。

10 内容

報告事項

  1. 文化財保護審議会の組織体制について
  2. 平成28年度文化財保護課事業報告

平成29年度文化財保護課主要事業

  1. 事業の概要
  2. 文化財活用係の事業について
  3. 埋蔵文化財係の事業について
  1. 群馬県指定文化財の保存事業について
  2. 群馬県指定文化財の現状変更等について
  3. 国県指定等文化財数について
  4. 群馬県指定重要無形文化財の指定解除について
質疑

(審議委員)文化財の活用、郷土への愛着という話があったが、文化財を郷土への愛着につなげていくことは最重要であると思う。
1つ目に、今年度から初めてホームページのカウント数が報告されるようになったが、この数字をどう活かしていくかという意味でこれがスタートラインではないかと思っている。
2つ目として、一次情報を持っているのは、文化財保護課の現場の職員であり、その情報提供の形も、色々なツールが出てきている。そのツールの追究ということも必要だが、根本的に共感を呼ぶようなものでなければ興味関心は生まれないと考えている。
3つ目が、その共感を喚起するために、例えば今後スマホアプリを活用する話もあったが、情報提供をする際に相手の共感を喚起できるような作りを模索していくことが成果に繋がるのではないかと思っている。
その際、繰り返しになるが、一次情報が重要になる。報告があった中で、渋川市のヒメギフチョウの話のように、一枚一枚葉の裏の卵を数えたというような情報に人は共感する。
一番目は保護、二番目は理解と関心の向上、三番目は保存及び調査、成果の活用、これにあてはまらない全てのステップにおいて、文化財保護課は一次情報を持っているのではないかと思う。一次情報をいかに活用していくかという今後の課題に対し、文化財保護課から他の部署へ情報提供を行うということが必要であると思う。素晴らしい知見が現場で蓄積されていても、その知見は担当レベルの部署では必ずしも活用に結びつけられないこともあるように思う。例えば、古墳サミットは文化振興課など、他部局とはこれだけだったように思うが、そういった知見をどこかに提供することで活かされればということも意識してほしい。

(事務局)ホームページのカウントについては、県庁のシステムが色々変わったりするので、長期的に同じデータが取りにくいという制約がある。概ね26年度分からは入手できており、古墳総合調査の平成26年度のアクセス数は8027、27年度は8861というように、調査が一段落したこともあり、増加傾向にある。観音山古墳や国分寺保存管理については、平成26年は10110ですが27年は9500と若干減って、また28年度に増えているという結果が出ている。GIS関係が26年度が3069、27年が3972と、かなりの勢いで28年度は利用が増加したとあり、細かい分析はできていないが、継続的に情報を集積することによって、その事業がどれくらい関心を持たれているのかというフィードバック、もしくはこちらの発信の仕方への工夫ということにつなげていけると考えている。
また、一次情報を持っているのは文化財保護課だということであるが、まさにその通りだと感じている。この一次情報の発信についても、広報を担当していた職員が異動をしたが、その感想がホームページの更新をたくさんやったというものであった。何回更新したかは調べれば出てくるが、そういった新しい発掘の情報だとか新しい指定物件に関する情報など、文化財保護課のみが知り得ることなので、そういったものを色々なところに発信して上手く利活用してもらうような工夫をしていきたいと思っている。今の説明では古墳サミットだけだったが、文化振興課とは常時連絡をとりながら色々な情報発信・活用について進めているところであり、なおかつ文化財を活用しながら保護もしなければならないという状況である。その他、観光物産課・広報課といったところの広報誌など、一年間に何回も情報提供したり活用してもらっているということになる。
最後にスマホアプリだが、ただ位置情報で古墳に行けるということではなくて、そこに近づいていくと古い古墳の姿が見られるとか、石室に入れなくても石室内のデータが見られるなどできればいいと思っているが、限られた予算の中でどこまで情報が入れられるのか、古墳全てがアクセスしやすい状況になっていない所もあるので、研究しながら仕様を一生懸命考えているところであり、先生方の意見を反映させていきたいと思っている。

(審議委員)古墳情報発信のところで一つ確認したい。教員向けのシンポジウムと書いてあるが、先程の審議委員の一次情報の発信にあたるが、子供たちに東国文化、群馬の古墳文化のすばらしさを伝えるのは、教員が仲立ちをするという大事な役割を果たしている。だが、教員も多忙で、こういうところまで社会科の先生が目を配って授業をやっているかというと、非常に難しい状況だと思う。そういう中で少しでも関心のある教員を増やしていくということにつながっていく事業だと思う。この当日の様子を、例えば人数・場所などを教えてほしいということと、そのような取組は具体的な古墳の見学ができるところでやった方がいいと思うのだが、そうした参加者の反応を聞かせてほしい。

(事務局)この教員向けのミニシンポジウムだが、毎年学校の教員向けに埋蔵文化財の専門講座というのを夏休みに3日間やっている。その一環として、その拡大版のような形でミニシンポジウムを行った。会場は、その専門講座を行っているのが県の埋蔵文化財センターであるが、この時は会場が確保できず、北橘支所のギャラリーという所を借りて、そちらで開催した。内容は古墳情報発信検討委員会の委員であった清水和夫先生。元の教育委員長であるが、清水先生を座長として県内の中学校、高校、小学校で具体的に埋蔵文化財を取り入れた授業をしている先生方にお願いして、授業の実践例を発表していただいた。参加した先生は12名と少なかったが、内容的には当日のレジュメを冊子にして、県内の小中高校まで全部配布をしている。その中でお話があったのは、県の方で進めている東国文化の副読本、中学1年生全員に配っているのだが、それを活用した授業であるとか、地域の文化財を活用した授業であるとか、そうした実践例を積極的に取り入れてほしいということで話をしてもらった。

(審議委員)教員の社会科部会とタイアップしていくことも検討していってほしい。

(事務局)補足するが、この専門講座は今年もやっている。今日が最終日で実際に発掘現場の体験で当課の職員も出張しており、今年は15人の参加で、昨年より若干増えているという状況である。

(議長)上野国分寺跡のガイダンス施設の来場者、あるいは観音山古墳の見学数が出ているが、このような文化財保護に関する施設の数値目標が何かあるのか。

(事務局)事業評価の中で数値の目標も設定して、5年間の目標とういうことで出している。それ以外に毎年、課の仕事としてどういう事業に取り組んでいくかという計画を年度当初に設定して、そこで数値目標を掲げているのだが、その中で担当者として、課としてどれ位を目指すかといったことも設定して、それについて年度末に達成できたとか、達成できなかったとかを評価をしている。

(議長)これは時間がないので検討してもらえればいいことなのだが、かつて大学経営に関わった時に、大学内の博物館などの施設で年間何人といったような目標を立てると、戦略も戦術もとれるようになり、評価もしやすくなった。多ければ良いという意味ではなく、文化財ごとに性格があるが、やはり数値目標は持つ必要があると思うので、それを含めて検討してほしい。

審議事項

(議長)教育委員会から諮問のあった指定文化財候補の審議に入りたい。まずは事務局から説明をお願いする。

(事務局)群馬県教育委員会より群馬県文化財保護審議会あてに、文化財の指定についての諮問があった。

  1. 山王廃寺出土塑像群
  2. 山王廃寺出土塑像頭部

これに対し、平成29年6月23日付けにて、群馬県文化財保護審議会より史跡・考古部会あてに調査の依頼を行った。
調査報告については、史跡・考古部会から報告を頂戴しており、その内容について事務局より説明する。

今回は同じ遺跡から出土した資料ではあるが、所有者が異なるので、それぞれ別の指定となる。
群馬県指定重要文化財の指定に係る調査及び報告について(回答)
平成29年6月23日付けで依頼のあった下記の群馬県指定文化財候補については、史跡・考古専門部会において現地調査その他必要な調査を実施し、慎重に検討したところ、群馬県指定重要文化財の要件を満たす文化財的価値を有すると認められたので報告いたします。

名称 山王廃寺出土塑像群
員数 4,084点
名称 附:塑像群残欠一括
員数 3箱
所在場所 前橋市教育委員会事務局文化財保護課
(前橋市総社町三丁目11-4)
前橋市総社歴史資料館
(前橋市総社町総社1584-1)
所有者前橋市
指定種別 考古資料

名称 山王廃寺出土塑像頭部
員数 1点
所在場所 かみつけの里博物館(高崎市井出町1514)
所有者 高崎市
指定種別 考古資料

1)由来及び沿革
山王廃寺は前橋市総社町に所在する古代の寺院跡であり、7世紀後半に建てられたと考えられている。地元の地名から、現在では「山王廃寺」と呼ばれているが、出土した瓦には「放光寺」と刻書されたものがあることから、国特別史跡山上碑や「上野国交替実録帳(こうずけのくにこうたいじつろくちょう)」に出てくる放光寺であることが確実視されている。「上野国交替実録帳」によれば、国分寺に準じる格式の高い定額寺(官寺に準じた特権を与えられた寺)であった。山王廃寺の主要部分は国指定史跡となっており、出土品のうち緑釉陶器(りょくゆうとうき)や銅鋺(どうわん)は国指定重要文化財である。この山王廃寺出土塑像群は、平成9・11年度に前橋市教育委員会の発掘調査により発見されたものを中心としている。塑像群は、山王廃寺の回廊の南西に位置する埋納土坑からまとまって見つかっており、塑像が置かれていた塔が火災を受けたため、まとめて埋められたものと考えられている。
2)内容
塑像とは、粘土などの材料を盛りつけて像の姿を造り上げたものである。3世紀頃中央アジアで塑像が造られたのがその始まりとされ、日本では7世紀に唐から伝えられた。前橋市教育委員会による発掘調査で、山王廃寺からは4,000点を超える塑像等の破片が出土しており、これらは塔本塑像(塔の初層に置かれた、釈迦にまつわる様々な場面を表している塑像群)であると考えられている。塑像の造りや文様から、作製時期は8世紀前半と考えられている。
山王廃寺の塑像群は、火を受けていたため破片ではあるが、具体的な形状が把握できるものも数多くある。塑像群の種類は、仏像・人物像や山岳・磯形等のほか、塔の壁体からなる。塑像や壁体の一部は、彩色の痕跡が確認できる。
3)種類と数量
本指定 塑像片2,313点
壁体片及び不明破片1,771点(塑像片の内4点は表採品)
附 塑像群残欠一括3箱
4)指定理由
山王廃寺の塑像群は、法隆寺五重塔の塔本塑像に遜色ない優れた造形である。法隆寺の塑像のような畿内の作例に匹敵する塑像が地方で造られたことを示す極めて重要な資料である。塑像群は破片ではあるものの、造形の水準は高く、まとまりもあることから、指定するに十分な歴史的意義を持っている資料である。
[指定基準]
 群馬県指定重要文化財の指定基準第5号の(4)に該当する。
第1群馬県指定重要文化財の指定基準
5 考古資料の部
 (4)官衙跡、寺院跡、墓、経塚等の出土品その他飛鳥、奈良時代以後の遺物で学術的価値の特に高いもの

この山王廃寺出土塑像頭部は、昭和34年に高崎市(旧群馬町)在住の個人により、山王廃寺で採集され、平成25年に高崎市に寄贈された資料である。平成11年度の前橋市教育委員会による発掘調査で、この塑像頭部と対になる塑像が発見されている。
2)内容
今回指定候補とした物は山王廃寺塑像の中で個人が採集した女性像頭部2点であり、内容は前述同様なので省略する。
3)種類と数量
塑像頭部1点
4)指定理由
前橋市発掘調査により発掘した塑像頭部と対になるものであり、前橋市保管の山王廃寺出土の塑像群と同様の価値といえる。塑像頭部だけではあるものの、造形の水準は高いので前橋市出土塑像群と共に十分な歴史的意義を持っている資料である。指定基準については前述と同様である。

(議長)山王廃寺について審議委員から何かあったらお願いする。

(審議委員)山王廃寺というのは前橋総社の地区にあるが、総社町には東日本でも有名な後期から終末期の総社古墳群という国史跡がある。
 その総社古墳群と目と鼻の先に山王廃寺がある。終末期の、国史跡になっている宝塔山・蛇穴山古墳という切石の凄い古墳、これらを造った時期に並行して山王廃寺が造られたので、古墳群に関わる勢力の氏寺として、7世紀後半に、今ではもう少し遡る可能性があるが、建立されたと考えられる。
 元々は日枝神社という神社の一角に、立派な建物に使う礎石が集められていた。それから神社の一角を下に掘り下げたら、立派な塔の芯礎が出てきてということで、前橋市で寺域及び伽藍の構造を把握するために計画的に調査をしてきた。
 その結果、伽藍配置、回廊を伴う本格的な寺院であるということが明らかになり、主としてこの範囲が国史跡になった。それまでは塔を中心とした部分だけが山王廃寺の塔跡ということで指定になっていたのだが、最近の前橋市の調査で、これ全体が国史跡の追加指定という形で名称変更された。
 ここに市道が東西に通っているのだが、ここで下水管の工事をしている時に、伽藍の部分のすぐ横から塑像の一部が出てきたので緊急調査した。緊急調査であったため、調査としては不十分なところがあったものの、塑像を中心とした大量の資料を発掘した。
 それから本格的に整理をしていく中で、この寺院の性格と、塑像群の性格を明らかにする必要があるということで、東京芸大の塑像の専門の先生に関わってもらいながら、報告書が刊行された。
 その結果全体の様子が分かってきた。それがここに上げてある数値になっているのだが、この中を見ていくと全体に像が非常に小さい。全体に像様が分かる破片があるのだが、みな小ぶりな物だ。観察していくとその中に俗業といって、普通の人を表すような像が結構たくさんあるとともに、小ぶりな仏像もある。
 よく知られているのは法隆寺の五重の塔の一層の部分の四面図だ。塔本塑像という、一群の像からなる、ある場面を表しているような、その中には釈迦の涅槃の時の場面、一般の人達が側にいて泣いているような場面が、四面にある。そういうものに匹敵するので間違いないだろう。
 塑像の破片も、これになるだろうというのが明快に分かる。東大寺の四天王にあたるような像で、これも実際には小さい像だ。その像の背景を塑像で造っているわけだが、そういう所に当たるような破片も出てきている。これはラクダの部分を表しているものではないかと考える。
 それからイノシシの破片。これは私は分からないのだが、壁画の断片ではないかというような推定を、調査の中でされた資料だ。
 その内のこちらが、高崎市のかみつけの里博物館にあるものだが、旧群馬町東国分に在住の方が、長い間、たくさんの瓦などの国分寺・山王廃寺に関わるような資料を所持しており、それらたくさんの資料を、新高崎市に息子にあたる方が一括で寄付をされた。
 山王廃寺に関わる資料も、その中に含まれていて、同じ一群の一部が偶然採取されたのだろうということで、これも含めて考えていくのがいいと考えた。
 大きさも作りも非常によく似ていて、こちらが発掘調査で出土した物だ。これが四面の構成になる。ちょっと数が少ないかなというところはある。
次は、たまたま私が大学院の時に飛鳥で調査をしていて、川原寺という有名な飛鳥期の寺院があるのだが、寺域のすぐ裏に小高い山があり、そこから仏像関係や、塼仏といわれる、壁に貼るレリーフ、金堂等を飾る破片が出てくると、村の人が教えてくれたので、関西大学の網干先生が調査をした。
前橋市のは工事の中で慌てて調査をしたので遺跡自体の実態が不分明のなところがあるが、参考までにということで。
堂塔が火災に遭って焼け落ちてしまったものを、丁寧に集めて、大きな穴を掘って埋納しており、慰霊を伴っているのだが、その後に土で埋めるというようなことをやっている。
つまり、火事になったから後片付けをして捨てたというものではなくて、丁寧に寺院の関係者が納めていくという状態ということだ。その中に、たくさんの塑像が出てきて、緑釉の塼器であるが、川原寺でさかんだったのは全体的に7世紀後半のものであり、その時に塔本塑像も川原寺で整備されたのだろうと。ものすごい穴を掘って、それでも足りないから穴を大きく掘って、そこの下で慰霊をやって、ここから上は土を埋めていくという状態だ。
両方とも主体になるのは塑像なので、山王廃寺の場合もそれが火災に遭ったために、作って着色をして完成なのだが、それが偶然火を受けてしまったために土器が焼けるのと同じ状態になったので、全体が破片として残ったということなのだが、その作りを見ていると、山王廃寺の物も、明らかに大和・奈良あたりの官営工房のような所で仏師が作る物と全く遜色がないので、地域で塑像が盛んな時期は短い期間なので、その中で山王廃寺・群馬へ仏師が派遣されて塔本塑像の一群を作っていったという関係にあるという推測ができ、なおかつ全国的には塑像のまとまった資料が出土する寺院というのは非常に少ないので、そういう意味でも群馬の歴史全体を考えていく、あるいは日本列島の歴史の中での、寺院にかかる様々な仏像等を考えていく上で非常に重要な資料だと思う。

(議長)この山王廃寺だが、私はこの近くで生まれ育ち、子供の頃鬼ごっこをしたり遊んでいたりした。その頃を考えると、戦後間もなくで、物のない時代だったが、布目瓦・破片が結構あって、個人が持ち帰るとか、ちょっと掘ると出てきたりしていた。今みたいな整った時代と違い、そういう関係で、個人が収集・所有しているといったことがあり得る。この説明に関して、質問・意見があったら出してほしい。

(審議委員)今回事前にこの書類を送ってもらい、久しぶりに興奮してしまったというか、大変なものが出てきたと思う。さすが群馬という気がしていた。質問だが、塔本塑像を供養像と言っていたが、高崎市にある物と、前橋市にある物は、以前から出ていたものが対という言葉で述べていた。対ということは、当然形に対する何らかの情報を持って、対という事しかか出てこないと思うのだが、果たしてそういう情報があるのかどうかということだ。
それでなければ、一連の物とか、あいまいな形で表現するしかないと考える。形でいうと、髷の形などは完全に同じ物で、しかも今の偶然並べられている物だと、いかにも対になっているような、左右も合うというような気もするのだが、私としてはこの情報しか持っていないので、4,000点の中にはもっと他にもあるのかどうか知りたい。これに繋がっていくような物となると、対という言葉での説明がいいのかどうか疑問だ。対といっているからには、何か情報も含めてあるのだろうか。これは私の純然たる興味である。これは指定に関して全く異論はなく、おそらく数年後には国指定になるような気さえするのだが、対の根拠が何かあったら教えてほしい。

(事務局)髪型で、上の少し出ているのが髪なのだが、右と左で、そうなっているところから左右対に置かれた物だろうと、前橋市の見解として出ている。実際に埋納の所から出ているので、左右並んだ状態で出たわけではない。あくまでも髪型で左右が別になっているので、対だろうと考えている。

(審議委員)それは私もそう思う。対というのはペアだ。だから、この二体で一つのまとまった形になれば、当然まとまったということについて説明が出来る位のことだ。塔本塑像の供養像には、女性像は何体もあるもので、その中の二体によく似たものが出てきたということにすぎないのか、その一対という限りは、何か証拠があるのか知りたい。

(審議委員)それは、危ないと思っている。トータルの情報を持っているわけではないので、その中で残りの状態の良かった二体がこういう状態だったということで、可能性の一端にはなるだろうが、一群の塑像群の中で対だということは言い切れない。

(議長)先程の話でも、いくつもこういう頭部があると思う。山王廃寺でもまだまだ出てくる可能性がある。そうすると今、審議委員の言っているように、これが対であるとは言えない。その辺の表現をどうするのか、断定するのか、推測の範囲に納めておくのか、そこをどう考えているか。

(審議委員)同じ像様を、一連の物と言う方が正しいかも知れないと思う。意識して作っている同様の物だという事は、確かである。対として使ったかどうかは、全く情報がないので微妙だ。

(議長)出ていないが、絶対出ないというわけではない。

(審議委員)報告書は、像の形状とかそういう部分はともかく、塔本塑像として根拠があって言っているのかどうかは疑問である。

(審議委員)他は分からないが、多分見せてもらったものだけからいくと、これはかなり目立つ。地方で作られた物からいくと、ものすごくいいもの。そうであればこそ、慎重にした方がいいのではないかという気がする。凄いよいもので感激した。

(議長)これがそのまま対とは言えないけれども、こういう形からして、対の形態というような表現になると思う。

(審議委員)像の役割というか、持っている人格というか、そういうものは対に近いものであるというのは間違いない。

(議長)今回表現として、今の議論を踏まえて、慎重にするということを前提として書き換えをするかどうか。

(審議委員)但しを付けるか。

(議長)表現を少し再考してもらう。他に意見があるか。

(審議委員)もう一つ。部分の中で、胴の部分がある。私がずっと気になってるのは、法隆寺の塔本塑像は、右衽(うじん)、左衽(さじん)が前身頃あるものが複雑だ。ここの場合はどうなのか。7世紀後半いわゆる白鳳時代とされているので、まだ右衽に完全になっていない時代のものだ。高松塚はむしろ逆で右衽になっている。

(事務局)8世紀前半である。

(審議委員)ちょうど交替期になるので、断片の中に前身頃あたりの所があるのではないのか。いずれ報告書が出るのだろう。

(事務局)報告書はもう出ている。ただ破片の状態である。

(審議委員)わかった。私自身の興味で聞いた。

(審議委員)かなり追跡できるとは思う。

(審議委員)いずれにせよ大変な物が出てきた。指定は賛成である。

(議長)他に質問があるか。

(審議委員)指定理由について、指定に賛成なのだが、指定理由の所で、造形というのを中心に理由を書いているが、白鳳期7世紀後半という時期、これが全国的に見て塑像の歴史として早い段階にあるということを書き込んでおく必要があるのではないか。それとも、そんなことはなく、県内では他の所からも出ているのだろうか。法隆寺は出ているが、全国的にはどうなのか。他にはこういう例はたくさんあるのか。そういった時期的な事を。
 それともう一つ、上野三碑と放光寺、山上碑の関連での塑像の位置づけが分かれば、上野三碑は話題になっているので、面白いと思う。

(事務局)山王廃寺は7世紀後半位からの寺と考えられているが、この塑像自体は8世紀前半の資料だ。ちょっと時期差があって、寺が作られた時にすぐ作られた塑像ではない。したがって全国的に古い時期の塑像というわけではないが、ただ8世紀前半という時期であっても、塔本塑像と考えられる像自体は県内では他には例のないものであり、東日本と広げても、おそらくはこれだけまとまった物はない。

(審議委員)前の方でも触れたが、塑像と直接的に関係することではなくて、山上碑に出てくる、母親のために供養を記したという長利という僧が放光寺の僧だということが出てくるので、山上碑のあった地域は佐野の屯倉ということで、畿内との関係が非常に深い地域・直轄地ということになるので、そういう意味でも元々総社古墳群の山王廃寺というのが、畿内との深いつながりの中で存在したということはあるので、その事が塔本塑像にもつながって、地方の寺院としては本格的な白鳳期の寺院で、その塔に塔本塑像を作るという、総社の地域の勢力にとっての意味合いが大きい。上野三碑との関係はこれからだと思う。元々は総社の地域が畿内との関係、上野国府や国分寺が出来ていくようなエリアを本拠地にしていた勢力なので、それであったから国府が選定された地域になっている。

(審議委員)了解した。

(議長)他に質問があるか。

(審議委員)いつも他の委員の話をワクワクして聞いているが、私は広報の専門なので、そちらの観点から言うと、面白いなと思ったのは、息子さんが貴重な物を、市に寄付したという話と、議長が近所に住んでいたけれども、昔は、こういったものがあったというというところだ。
私も、群馬県の地元の方から子供の頃は色々拾ったものだと話を聞いたことがあるのだが、一般の方に素晴らしいこれらの価値を伝える中で、どういった事で興味を持ってもらえるかなというところに関心がある。
実は群馬県では、昔自分たちのおじいちゃん、おばあちゃん世代、お父さんが子供の頃にこんな物がたくさん転がっていて、この像は、ある方が収集家で、市に寄贈されたっていうような観点のストーリーだ。例えば、家に何か眠っている物がないかというようなキャンペーンをすると、若い世代などは、実は父親に聞いたらこうだったとか、興味・郷土への愛着が生まれるのではないかと思った。

(議長)ご意見は、これから広報して市民・県民の目に触れる中で、反応があれば、教育委員会で対応してもらうということでよいか。他に質問があるか。

(審議委員)ちょっと教えて欲しい。塑像片2,313点、これは明らかに発掘して出てきたものだと思うが、この附の塑像群残欠一括3個、これは前橋市で採取したものがどこかで保存してあって、それを附として指定するということなのか。

(審議委員)今までに調査をしていて、その中である層から上は移動したりするので、塑像が出た一角の上の所は全部掘削されて地表面になっているのだが、そういう物も一連の物だと考えている。

(審議委員)十分、関連があるということで承知した。山王廃寺出土塑像等、写真を見ても芸術的に優れたものがある。これと、それはそうなのだろうと思うのだが、実際に昭和34年に高崎市の個人が採集したと書かれているが、その辺の来歴はどうなのか。確実に山王廃寺の付近を掘ったとか、そういうのは今持ち合わせているのか。

(審議委員)それは、出版物とまではいかないが、本人が書いている物がある。ここは伏せさせてもらうが、●●さんという方が、こういう資料について、東国分の国分寺周辺から山王廃寺にかけて、瓦・寺院に興味を持っていて、凄い収集なのだが、それの中で自慢の一品だったそうだ。それで、●●さんが書いたその来歴がここに記されている。多分、前橋市文化財保護課・歴史博物館・文書館におられた、阿久津宗二先生が親しかった。阿久津先生も地元の山王地区の出身在住の方で、●●さんから詳しく話を聞いているのだ。そういう中で、前橋市の発掘で出てくる、以前から●●さんの持っている女神像については、山王廃寺出土ということで全国的にも有名な資料だ。

(審議委員)山王廃寺から出たというコンセンサスがある物を、一緒に指定するということで了解した。

(審議委員)間違いなく、調査をして出てきたものと比べると多少温度差がある。

(審議委員)何か●●さんの手帳とかありそうだが。

(事務局)出版物がある。

(審議委員)本人がここで、採取したというのが分かっているということで了解した。

(議長)時間もあるのでこれでよいか。今議論した中で、先程の対という物、私はこの分野でないので正確に分からないが、国の指定にも遜色ない物と言ってもらっているので、その際にしっかり対応できるような、県としての指定の要件・理由の加筆をするなど、先程の意見を加味してここに入れていくという事を前提として、山王廃寺出土塑像群附塑像残欠一括及び山王廃寺塑像等について指定することが適当であると答申することでよろしいか。
全員一致ということでよろしいか。
そうしたら、全員一致で山王廃寺塑像群附塑像群残欠一括及び山王廃寺出土塑像頭部を指定することが適当であると答申する。
それでは最後に審議いただいた二点の答申案を事務局にお願いする。

(事務局)(答申案読み上げ)

(議長)細かい文言については部会長に一任するということでよければ、8月の教育委員会会議に答申する。異議無しということでよいか。それでは答申する。
つづいて、群馬県指定文化財の管理状況について事務局より報告をお願いする。

(事務局)平成28年度国県指定重要文化財(美術工芸品及び建造物)附の保存管理に関する状況の調査結果ということで、資料に載っている。
前年度第2回審議会で報告したとおり、平成28年に公的機関が所有する県指定重要文化財の建造物の附の棟札が紛失する事件が発生して、今まで所在調査をしてきたのだが、調査対象外であった、国県指定の重要文化財建造物について附を調査対象物とするとともに、公的関係機関が所有管理する国県指定重要文化財(美術工芸品及び建造物)の附についても調査対象物とした。
その対象としては個人、法人、公的機関が所有する205点についての調査である。これについて、附については15件ということであった。残りの190件なのだが、前回は95件であったが、公的機関等を足したことにより190件というように増えた状況だ。
その結果、建造物の附については、所在について15件確認出来たということである。それから他の部分について調査した中で、以下の表にあるものについて問題が発生している。
4の部分については、既に補助事業として修理を進めている。
2番目については、カビがケース内に発生したのだが、昨年度はそういった状況であったが、今年は問題が発生していないという状態である。
いくつか継続になっている部分もある。その部分は対応というところに書かせてもらっている。今年も調査を継続して行っていきたい。

(議長)群馬県指定文化財の管理状況について、今の説明について何か意見・質問があるか。よろしいということで進めてほしい。

11 閉会

 16時00分 文化財保護審議会の閉会

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