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文化財保護審議会 平成25年度第2回開催結果

更新日:2014年2月3日 印刷ページ表示

1 日時

 平成26年2月3日(月曜日) 午後1時30分~午後3時30分

2 会場

 群馬県庁29階 第一特別会議室

3 出席者

 大平良治会長、戸所隆副会長、篠木れい子委員、染川香澄委員、野田香里委員、松本健一委員

4 専門部会出席者

 無形・民俗文化財専門部会:飯島康夫部会長、志田俊子委員

5 事務局出席者

柿沼則久文化財保護課長、洞口正史埋蔵文化財主監、須藤正巳次長、文化財活用係:南雲芳昭補佐(係長)、高島英之主幹、齊藤英敏指導主事、坪内陽祐指導主事、田島輝之指導主事、武藤直美主任

埋蔵文化財係:桜井美枝係長

6 文化財保護審議会の開会

 午後1時30分

7 会長あいさつ

 群馬県文化財保護審議会 大平会長より、あいさつ。

8 議事録署名人選出

 議長が、今回の議事録署名人に戸所副会長を指名。

9 傍聴制限確認

 文化財保護課埋蔵文化財主監により、審議事項及び報告事項中の専門部会等報告については非公開、その他の報告事項については公開の提案がなされ、委員により承認された。

10 報告

 事務局より、報告事項1~5について説明が行われた。

  1. 国県指定文化財件数について
  2. 平成25年度県指定文化財保存事業について
  3. 県指定文化財の現状変更等について
  4. 文化財活用係の事業について
  5. 埋蔵文化財係の事業について

(委員)上野国分寺跡の管理体制の件でお聞きしたい。ガイダンス施設に解説員を常時3名雇っているというのは、給与は払っているのか。

(事務局)報酬として支払っている。

(委員)東北の多賀城に訪問した際、ある人が案内しますといって、一緒に歩いて全部説明してくれた。私があなたはどなたですかと聞いたところ、地元のボランティアでお昼だけは出ますと答えた。5,6人いたようだった。特に定年になった人で、地元の為に文化的事業を何かやりたい、地元の誇りを説明したい、役に立ちたいと思っている人は、たくさんいると思う。その辺はどのように考えているのか。具体的にお聞きしたい。

(事務局)現在解説員3名で対応しており、発掘調査で整備事業のデータを得ているところである。整備工事に移り、整備事業がほぼ完成に近づいたあかつきには、全員が報酬でというのも考えづらい。活用の面においてボランティアの協力を得るということは重要なポイントになるかと思う。将来的にそういう姿になれればと考えている。

(議長)群馬県は2004年にねんりんピックを行い、高齢者のボランティアも幅広く活用できたと思う。国分寺跡の場合は、専門性を要求されることであるが、健康で元気な意欲のある高齢者を活用するのも重要なことではないだろうか。

(委員)県直接雇用の解説員ということだが、肩書きはどうなるのか。

(事務局)嘱託という身分になる。

(議長)いわゆる非正規職員か。

(事務局)そうである。

(委員)県民が調査に積極的に参加する機会を、と目標に掲げているが、非常にすばらしいことではないかと思う。というのは、県内外に広く強く発信する為には県民が直接関わり、また関わったという経験が、外への発信力につながるのは、以前から話に出しているところである。平成27年度、報告作成・関連行事を開催とあるが、県内の方たちの参加が4年後にどういった形になるのか、どういった目標を掲げているのか、聞かせていただきたい。

(事務局)今回の県民調査員は全くのボランティアという形で募集し、211名の応募があった。土日に計5回の養成研修を受けた161名を県民調査員登録し、活動してもらっている。意欲もあり、こちらの問いかけなどに関しても答えを返してもらうなど、非常に熱心に活動している。27年に古墳調査に関しては一旦終了になるが、その後も色々な形で文化財に関する応援団として活躍してもらえたらと考えている。27年までの間に、なんらかの形を検討していきたいと考えている。

(議長)報告事項は了解ということでよいか。

(委員) (了承)

11 専門部会等報告

 事務局より、各専門部会の活動報告が行われた。

(委員)専門部会等報告からではないが、先程の埋蔵文化財の古墳総合調査の古墳、金井東裏遺跡の説明の際に、「東国文化」という言葉がどこにも使われていない。昨年の審議会の後に上毛新聞でアンケートをとったら、東日本最大規模の古墳群など県が発信する「東国文化」は、約6割は言葉自体を知らないと回答している。聞いたことがあるが内容自体を知らない、とあわせると約9割となり、浸透不足を示す結果となったと書いてある。埋蔵文化財古墳総合調査をし、県が発信するということであるのならば、報告書の中に「東国文化」という言葉をどこかで使っておいたほうがいい。我々も群馬県が「東国文化」を発信していることがこの報告書の中では分からないから、古墳調査と絡めていく必要がある。

(議長)最近、東国文化の拠点が群馬であるということから文化振興条例を制定して審議会を設け、東国文化の再認識を群馬の再生という視点で取り組んでいる。

(事務局)史跡上野国分寺から報告にある項目にあるもの全てが「東国文化」の発信の要素になっている。普段は構成要素として積極的に申し上げていたのだが、この中では書き落としている。認識が不足していたと反省している。 今後は我々が先頭に立って発信していくようにしたい。

(委員)古墳総合調査の報告に、歴史力を県内外に広く強く発信すると書いてあるが、「歴史力」という言葉を使うのであれば、「東国文化の発信」と明確に出しておいた方がいいと思う。

(議長)知事部局も含めて、県をあげて取り組んでいるので、ぜひ配慮をお願いしたい。

(委員)調査の目的の部分で、「過去例を見ない非常に貴重な資料」というのは、結局何なのかが分からない。少なくとも私どもは文面を外に出すときに、他と比較してというのが大事ではないかと思う。というのも、福岡市立博物館が最近リニューアルした。ここは金印が見つかった場所なのだが、金印を見せるために、第1、第2室の小さな部屋なのだが、ものすごく丁寧に見せている。金印だけではなく、同じような印が、中国でどのようなものがあってなど、比較とか、あまり日本ではしないのだが金印の貴重さを見せるために、色々なものを比較し、目立たせている。非常に貴重なものなので、言いっぱなしではなく、わかりやすく書いて欲しい

(事務局)金井東裏遺跡の遺物の貴重さというのは、上の事業概要の所に「甲着装したままの人骨」とあるように、「古墳時代の災害で被災した人物が数人見つかっている」点、通常「古墳の副葬品の甲を人が着ているという、着用状況表す状態で見つかった」という2点が非常に貴重な点である。

12 審議

 教育委員会から審議会あてに「三波川のタラヨウ」の指定解除ついて諮問通知が出された。また平成25年8月に開催された第1回群馬県文化財保護審議会において「群馬の粉食文化・オキリコミ」の選択が継続審議となった。それに対し、審議会より名勝天然記念物専門部会及び無形・民俗文化財専門部会あてに調査依頼が行われ、名勝天然記念物専門部会長及び無形・民俗文化財専門部会長より調査報告があった。

(事務局)群馬県教育委員会から文化財保護審議会宛の群馬県指定文化財の指定解除についての諮問を受け、審議会から平成25年12月24日付けの調査の依頼があった。この調査依頼を受け、1月21日に専門部会を開催し、調査等の経緯を専門部会で調査検討をした。その結果、指定の解除の調査結果を審議会会長宛に提出した。

 タラヨウの木は郵便局の木とか、はがきの木といわれている。県内では高崎郵便局や伊勢崎郵便局の玄関脇に植えられており、郵便局の木と説明が表示されている。東京丸の内の日本郵政の入口にも植えられている。葉の裏を引っかくと線になって残る為、郵便の木と呼ばれている。

 昭和52年当時の白黒写真、平成18年当時の写真を資料に添付した。昭和47年11月15日の指定物件となる。指定当時は2本立ちになっていたが、タラヨウの木は常緑広葉樹であり、群馬県には自生しておらず、植えられた庭木ということになっている。その中でも大変大きく立派な点、二本の樹冠が1つになって一本の木のようになって大変珍しい点から指定になったものである。昭和52年当時は2本あるが、昭和57年8月1日の台風10号で北側の1本が倒壊し、母屋に倒れかかった為1本は伐採し残りの1本を所有者を含め地元の方が大事に守ってきたが、平成22年頃から樹勢の衰えが目立つようになった。経緯については、以前から少しづつ衰退して樹勢の衰えは進んできたのだと思う。6月段階で葉がまばらになってきたとの報告があり、その後、藤岡市の文化財調査員で樹木医の方、県文化財保護審議会専門委員の樹木の専門の先生に見ていただき、腐朽菌が入っていて水の吸い上げが悪いのだろうとのアドバイスを受け、養生に努めたが、平成25年4月段階で新芽がでないということで、この後もう少し様子を見ようとなった。7月に専門部会の先生立ち会いの下調査を行い、完全に枯死していることを確認した。

 その後、11月に一間ほど離れたところの母屋に倒壊する恐れがあるため、伐採が必要であるだろうということで造園業者も含め再度確認を行い、完全に枯死していることを確認出来た。11月20日付けで所有者から滅失届が出され、27日に受理した。12月上旬に伐採をしている。滅失届の受理を受けて教育委員会会議へ指定文化財の解除の議案を提出させていただいたのが経緯である。

 解除の理由は枯死が確認されたためということになる。初期衰退原因は特定出来ないが、伐根したところ、根も全部枯れていた。根のすぐ下1メートルも掘らないところに岩盤が確認され、高さ10数メートルの木にとってはつらい場所だったが、その中で数百年かけて大きくなってきた木である。何らかの原因で根に傷がつき、そこから腐朽菌が入って水の吸い上げが悪くなり枯れてしまった、というようなことが原因として考えられる。

 以上指定解除の調査を行い、指定解除の要件を満たす為、指定解除としたい。

(議長)質疑意見等があったら、お願いしたい。旧鬼石町にあったタラヨウという木が枯れてしまったということである。

(委員)指定解除については問題ないと考える。植物のような生き物を天然記念物に指定した場合、状況は常に変わっていくのだろうと思う。藤岡から依頼があって樹木医が入っているが、指定当時の状況を定期的に維持するシステムになっているのか。指定したら所有者にお任せなのか、何らかの公的な維持管理をするようなことになっているのか、今後の物件との関連でお聞きしたい。

(事務局)文化財に指定されている国指定・県指定物件については、文化財パトロールという国庫補助で県内各市町村1,2名、31ブロックで分けており、1,2ヶ月に一回くらい巡回している。樹木医が巡回するわけではない。パトロール員に依頼し、元気がなくなったり、幹に穴が開いていたり、異常があったら報告してほしいということで月に1回報告をしてもらっている。市の中は独自に予算を組んで、国指定・県指定・市の指定物件については樹木医に見てもらったり、保全木になったりしているものは、文化財に限らず巡回してもらい異常があったらこちらにも連絡してもらう仕組みなっている。

 県内天然記念物は120件ほどあるが、担当としては一通り回ったところだが、これからも回りたいと思っている。

(委員)専門家ではないが、外から見ておかしくなった段階では手遅れで、毎年植木屋さんに見てもらっていて変だといわれた時に、手当をするかしないかで違ってくる。定期健康診断では無いが、手を入れていかないと難しいのではないか。ただ予算、人的なものもあるので今はいわないが、そんな印象を持っている。

(委員)文化財が、神話の材料や名所旧跡、歌に詠われていたりすると、枯死する前に次の木を育てているというのが随分ある。例えば岩沼市の芭蕉が詠んだ「二木の松」などは、西行の時代のものであるため、実際には6,7代目となるが、常に見合う木を用意しておく。前のが枯れたらある程度大きくなったものをそこに植える形を取っている。そのような名所旧跡のような扱いをしているものはあるのか。

(事務局)二世木ということに関していえば、群馬県内においては、県林業試験場で県内の国・県指定の樹木については基本的にクローンを育成している。その他に独立行政法人の森林総合研究所、林木育種センターでジーンバンク事業というのをやっており、今年度に関しては、県の樹木は三本ほど補木を取って育成している。タラヨウに関しては二世木がまだ小さいが植えられている。

(委員)元気な時には、どのように地域に活用されていたのか。

(事務局)具体的な活用事例は、三波川の桜のすぐ下にあり、メインのルートからは外れているが、道路から見え、所有者の話では巨樹古木ツアーの方や、地元の方がたまに訪れているとのことであった。

(委員)郵便の木と名付けられていることだが、京都の東福寺にあるのは手紙の木といわれていて、実際に葉を取って傷をつけると文字が書ける。平安時代からずっとある木で、3メートルの木である。もうクローンが植わっているのであればそこに標識を立て、今は小さく文化財の保護の対象から外すにしても、継続するような何か施策をとる方がいいと思う。

(議長)委員から、要望があったがいかがか。

(事務局)そのような方向で検討したい。

(議長)三波川のタラヨウについて、文化財指定解除ということで諮問通り答申でよいか。

(委員)(了承)

(議長)続いて8月の審議会から継続審議になっている、群馬の粉食文化・オキリコミについて審議に入る。まず、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗に選択するという制度について、事務局より説明願いたい。

(事務局)継続審議となった、前回の審議会の結果を受け、大平会長から無形文化財・民俗文化財専門部会に対し再検討の指示があった。これを受けて再度無形文化財・民俗文化財から報告があった。

 資料の10頁目、1「県指定重要無形民俗文化財以外の無形の民俗文化の記録の作成等について」をご覧いただきたい。

 まず、皆さんご存じのことかと思うが、民俗文化財について簡単に説明する。

 文化財保護法第2条第1項第3号に定められており、「衣食住,生業,信仰,年中行事等に関する風俗慣習、民俗芸能、民俗技術及びこれらに用いられる衣服、器具、家屋その他の物件で我が国民の生活の推移の理解のため欠くことのできないもの」を「民俗文化財」としている。

 また、民俗文化財は重要文化財や天然記念物等とは異なった指定等の基準をもち、「基礎的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの」とあるように、価値判断が異なる。

 次に、「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」についてであるが、これは一般的に「選択」とか、「記録選択」と呼ばれるもので、「無形文化財」と「無形の民俗文化財」にしかない制度である。つまり「形がないもの」に適用される制度である。これはなぜかというと、例えば民俗文化財の対象である、生活様式や慣習といったものは形がなく、社会一般の人々が伝承しているものであるため、生活スタイルや社会の変化によって移り変わるのが前提である。そのため、なくなってしまうことも多々ある。無形であっても祭りや民俗芸能などは保存団体があり、継承していくことが可能であるため、「指定」し保護することができる。しかしそれ以外、各家庭で行われる年中行事や今回取り上げる食生活のようなものは、そのままの形で継承していくことが困難であり、指定になじまないもの、消えて無くなりそうなものについては「記録作製等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択し、記録を作成し保存しましょう、記録で、後世に残しましょう、という趣旨なのである。そして、そのための、調査や報告書の作成、記録映像の作成が公費で行える、ということになる。

 今回は「オキリコミ」を、「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」にする、ということなのだが、今はオキリコミ麺の打ち手も高齢化で減少しているし、市販麺を使ったオキリコミや新しい味付けのオキリコミなども出てきている。そのため、各家庭において親から子に連綿と伝えられてきた伝統的なオキリコミがなくなってしまう前に、ぜひとも記録作成作製をしたいということになる。

(議長)記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択する目的として、民俗文化財というのは時代の変遷に伴って形式が変化する前提のため継続が非常に困難に成りつつある民俗文化財について、現時点での民俗を記録しようということである。

 次に記録作成の措置を講ずべき無形の民俗文化財について確認した上で、前回の審議会の意見をまとめると、前回は選択の理由として粉食文化の象徴としてのオキリコミということで審議が進められていたが、それに加えて先にあいさつにて県内の高齢化について話し、集落が非常に危機にあるということを申し上げたが、現在、粉食の中でオキリコミが途絶えそうである。措置を講ずる緊急性も今回は加えて説明したいと思う。各家庭で作られて来た伝統的なオキリコミが無くなってしまう前に、今ここで文化財として選択し、きちんと調査を行って記録を残したい、そういうことでよいか。

(事務局)はい。

(議長)それでは無形文化財・民俗文化財専門部会の飯島部会長から説明をお願いしたい。

(専門部会長)まず、選択対象の「群馬の粉食文化・オキリコミ」という名称について、群馬における生活文化の特徴として、粉食文化ということが重要であるという認識から、群馬の粉食文化の中のオキリコミないしは群馬の粉食文化としてのオキリコミという意味が込められている。それを強調する意味で「群馬の粉食文化」いう字句も選択の要素として非常に重要であると考えたので、単なる食品としてのオキリコミだけでなく「群馬の粉食文化・オキリコミ」という名称が適当である。

 次に、前回御指摘があった「粉食文化」について説明したい。

 先ほど大平会長より民俗文化財の伝承、保存が大変厳しい状況であると見解が示されたが、民俗文化財専門部会でも積極的に群馬県内の特色ある民俗文化財を保護していきたいと思っている。その際に群馬県の民俗文化財、生活文化の基礎を形作る民俗文化財の特色的なものは何か、その一つの柱として麦作文化があるだろうと考えている。群馬県特有の地理的条件、気候、地形、地質などから畑作や水田裏作の麦作が盛んに行われてきた。その中でも小麦は資料にもあるように、過去から現在に至るまで全国でも上位の生産高である。特に群馬県の特徴としては麦は畑作だけでなく、水田裏作として作られてきた。そして単に作るというだけでなく、社会生活に深く根付いており、様々な麦作に関する儀礼・祭礼などが伝承される。当然食習慣など、生活様式、用具類さらには共同水車、製粉に係わる社会組織なども生み出されていく。生活の隅々にまで至る要素を総称して麦作文化と、とらえられるだろう。

 麦作文化の中に儀礼、祭りも重要である。その中のいくつかは既に文化財に指定されているものもあるが、特に生活文化の中での重要性でいえば、日常の食料として生産されてきた麦が、群馬の食文化に果たした役割を考えていくことが重要だろう。食材において麦の比率が高いのも群馬の食生活の特徴で、現在でもそれは継続されていると考えている。

 群馬県内には様々な粉食があり、それは日常的なケの場面、非日常的なハレの場面でも様々な形で使われてきている。そういう点でも粉食文化といえるであろう。里帰りの手土産という形で嫁が小麦粉を持っていったり、収穫した小麦粉を製麺所で乾麺と取り替えたりするという慣習を生み出している。生活の基盤となる日常食、群馬の特色として「群馬の粉食文化」という字句は強調しておく必要があると考えている。

 そして粉食文化の典型、代表例としてオキリコミがあるのではと思う。オキリコミを粉食文化の典型としたのは、県内で広く作られ食されてきたということはもちろん、生活の基盤となる日常食であるということである。日常食があって、祭り、供物が生まれてくるのだろう。他の日常食として食べられる粉食との違いは、主として夕食の主食としてオキリコミは食べられることが重要である。さらに商品としてではなく家庭内で、地域で生産された小麦粉と野菜を使って作られている。そういったことから、生活文化の基盤をなす粉食文化の典型としてとらえることができる。オキリコミにまつわる様々な民俗事象としては、嫁のたしなみとして、ハレの食べ物のうどんを打つ練習としてオキリコミを打つこともあった。

 また、夕食の残りを翌朝温めなおして食べる、夏の土用に熱いオキリコミを食べると暑気にあたらないなど、生活の中にオキリコミが深くしみこんでいる、生活文化の一つとして重要であると考えた。

 さらに塩を使わずに下茹で無しの麺状のものを日常食として食べるのは国内でも限られた地域であり、すいとんと異なり、群馬の粉食文化を代表させる食品と判断した。食生活の変化でオキリコミも家庭内料理として伝承の存続が危ぶまれる状況にあるので、早急な調査、記録作成を行って特色ある文化財を保護していければと考えている。

(議長)別添に参考資料とて、群馬県文化財保護審議会公開基準というタイトルの資料の中にオキリコミの新聞記事をつけていただいている。8月5日の継続審議になったことで地元紙、上毛新聞をはじめ反響があったようで、色々な記事が出ている。

 オキリコミ単体で記録作成等の措置を講ずべき民俗文化財とするのかという記事もある。粉食文化の特徴、生活文化の特徴でもある粉食文化としてのオキリコミは典型的な食物との説明があった訳だが、文化財として選択し調査研究した結果、他の食べ物も選択される可能性があるか。

(専門部会長)現在想定しているのはオキリコミだけである。今後民俗文化財の専門部会で調査していく中で、もちろん記録作成等の調査の中でも他の粉食にも目を配っていく。

 群馬の無形民俗文化財の中で地域的特色があって、これは重要である、記録を作成していこうというものがあれば、そういう可能性もあるが、今後の調査にゆだねたいと思う。

(議長)民俗文化財専門部会長から説明があったが、委員から意見等をお願いしたい。

(委員)前回に比べて色々な角度から丁寧に調べていただいている。

 自分自身の経験からして、小さい頃は養蚕をやっていたので、忙しいときは、すいとん、オキリコミ、ウドン、ソバの順に作っていた。

 オキリコミは夕食の忙しい中でも塩を入れず打って切って下茹でせずに汁に入れる。上州の文化、昔の生業ともつながっているなということを感じている。実に今も週1,2度私は食べていて、上越市に仕事で行っているのだが、飯島民俗文化財専門部会長も新潟だが、(群馬の麦作文化は)新潟の米文化とは全く違う。関西の京都で30年生活していた時に、オキリコミを関西の粉で作ろうとしても、水分をはじいてしまって駄目だった。農林61号、地粉と呼ばれているもので作ると水分を吸っていく。品種から、作り方から、関西の方にいっても理解してもらえない。具を良くするとおいしいといってもらえる。多くの方たちに必ずしも理解されていない、文化財として選択されることによって一方で原点、他方で発展させるという両極端でいく。選択されてよりいっそう研究を進めるく機会になればいいと感じている。

(委員)群馬県の典型的な粉食文化であるというのは非常によく分かった。山梨県のほうとうであるとか、類似の食べ物があるので、群馬県独自のものであるのかといわれたときに、群馬県独自の物は焼きまんじゅうではないのかという反論が出てくるのではないか。焼きまんじゅうは栃木県にも山梨県にも、新潟県にも無い。焼きまんじゅうは群馬県だけのものであるというのが分かる。銀座のアンテナショップでも圧倒的に焼きまんじゅうが売れ筋である。「群馬県の粉食文化は焼きまんじゅうではないのか」というふうになってくる。類似商品が他には無いということについての考えはどうなのか。

(専門部会長)焼きまんじゅうは知名度は、群馬の粉食としておっしゃるとおりである。

 今回の場合は民俗文化財であり、まず生活文化の特に基盤をなす部分の文化であるということからいくと、焼きまんじゅうは一般の素まんじゅうとか酒まんじゅうの、麹や甘酒を発酵させたものを発展させて商品化させたものであろうと思うが、商品であるという点で民俗文化財とはなじまない。群馬県の物産ということであれば焼きまんじゅうということもあるだろう。今回は生活文化の基層ということであると、オキリコミが適している。

 オキリコミは山梨や長野、埼玉でもあるではないかということだが、民俗文化財、生活文化になると行政区画でここまでというのは難しい。単体であるお祭りなどは、ここしか無い、というのは比較的いえるのだが、特に食生活、麦を食する米があまり取れないところだと似た文化が出てくるのはあり得ることである。

 群馬固有ということはできないが、逆にいうと他の県はまだ選択なり指定をしていない。ということであれば今ここで、オキリコミを群馬が選択し文化財とすることの意味は非常に大きいだろうと思っている。というのは「焼きもち」は長野県が味の文化財に選択している。実は焼きもちは群馬にもたくさんあり、粉食文化の一つだと思って資料に入れてあるが、選択は長野が先で文化財と関係ない部分で売り出してしまい、今は焼きもちといえば長野県となってしまった。そういう点からも民俗文化財としてオキリコミを群馬の一つの特色でということで文化財に選択する意味は大きいのではないかと考えている。

(委員)今の説明は私は納得である。部会長さんの説明の通り伝統的な民俗の生活文化としての基盤というと、オキリコミの類だと思う。その次に生活文化の基盤としてあげるのならば、焼きまんじゅうではなくて、焼きもち、または「ぶち」とか「ぼち」とかいわれるもの、雑穀類で山間部で飢えをしのいだものが次いで出てくるだろうと思う。代表として生活の基盤として明示されたので、「伝統的な」ということであれば「おっきりこみ」と、私はいうが、オキリコミが代表でいいのではないかと思う。

 その次の問題としてオキリコミのデータがあるが、10代から70代の女性66名ということで年代層が広い。もし伝統的なこの地域の生活文化の伝統の基盤になっていた意識を考えるならば、老年層のデータに注目して、若い人と分けて取られたらいいと思う。若い人がオキリコミから煮込みうどんへと、ごちゃごちゃになっていた説明にもなる。このデータをきれいに分析して発信なさった方がいいと思う。このままだとあまりにも乱暴すぎる。

 私は30年も前から調査に入っていたが「オキリコミ」という言葉は年寄りから聞いていない。「おっきりこみ」である。議長も説明なさっている時おっきりこみ、小さい「つ」が入っていた。若い人たちはオキリコミ、外の人たちがぐっとつまるのが少ない。方言としての特色は「っ」が入った方が断然群馬の方言である。たくさんの言葉に入っている。年を取った方の方が「っ」が入っていた。

 随分広い地域大雑把に説明しているところは、東毛に住む人はオキリコミは全然聞かないため、その辺は丁寧に行い、物と語形の関係を明確に示した方がいい。オキリコミ以外の言葉で呼ばれているが同一の内容を示すものか、語形だけをいっているのか、それを明確に、判るようにマークでもつけて提示した方がいい。

(委員)篠木委員がおっしゃったように呼び方は地域によって大分違う。私は中毛なのだが、家庭によっても違うのだろうが、代表的なものと混乱しないように明記した方がいいと思う。

 数年前まで群馬のオキリコミと、山梨のほうとうと、埼玉の煮ぼうとうとで一般の人にどれが一番か3県持ち回りで競争をしていた。なにが言いたいのかというと、各県の民俗文化は似たようで少しずつ違い、それを地域の人が認識しながら競っていた。そのことを通じてより明確にしていく、あるいは群馬の民俗を育てていくきっかけになればいいと感じた。

(委員)先程、麺が地粉がいいというのは、科学的に分析したものが表に出て行くとよいということと、塩を入れないのは塩分が少ない訳で、時代が遡ればのぼるほど塩分の量が少ないとか、ビタミン類のバランスが栄養学的にいって非常にグーだった、ということも発信するといいと思う。もう一つは、今群馬県のおっきりこみプロジェクトができている。この辺の名前のずれは、県としては大丈夫か。

(事務局)こちらは家庭で作られてきた伝統的なオキリコミである。プロジェクトの方は名物として売り出していこうという考え方であるので、違っていて差し仕えはないと考える。

(委員)できれば一緒の方が良く、データに裏づけられていて、年寄りはおっきりこみが多いですよとでてきたら、おっきりこみのほうがいいと思う。

(委員)私もおっきりこみプロジェクトで群馬県が推進しているのに、なぜオキリコミとしたのか。その理由が非常に気になっている。

(専門委員)群馬に親が赴任し、私も群馬県の県民になった。その時にあまりにも食生活が貧しく、腰を抜かしそうな状況になった。その原因は親が畜産試験場に勤務しており、私も卒業と同時に群馬に来、親が群馬の名物だと焼きまんじゅうを持ってきた。こんな物が名物かと思ったのが昭和32年の春。その秋にオキリコミを見て、また小麦と思ったのが正直な気持ちである。育ったところは東京、茨城、宮城、長野、高知で、転勤族の子弟として全ての教育が済んでから群馬に来た。

 群馬の食があまりにも貧しいので私はここから逃げようと思った。農文協(農山漁村文化協会)が全国の単独の県ごとに日本食生活全集を作った。勤務先に農文協の方が来て、群馬の食事を担当して欲しいと頼まれた。私は群馬県民ではないので書けないと否定した。そうしたら栄養士を養成していて責任がないではないかと脅された。

 ここから私のオキリコミの研究が始まった。学生の栄養研究にJAと一緒になって研究をした結果をこちらに出した。

(専門部会長)篠木委員の御指摘、野田委員の御心配だが、オキリコミという呼称にした1つには群馬県の今までの研究の中でもオキリコミという呼称を使っていたことである。

 先程、篠木委員が年代別に示した方がいいとあったが、実は志田委員が既に示しており、2003年の研究報告の中では、呼び方として、高年層60歳以上ではオキリコミ、にぼうとう、煮込み、おっきりこみの順であったということを示したものがある。そういう点からも総称としてオキリコミとした。

(議長)よろしいか。「群馬の粉食文化・オキリコミ」の選択について2回に渡り審議をしていた。教育委員長から諮問があったとおり答申をしてもよいか。

(委員)(了承)

(議長)それでは答申する。この後記者会見でも報告する。なお、今回は非常に重要であるので、戸所副会長にも記者会見に同席してもらいたいと思っている。

(委員)次回から資料を早めに渡してもらいたい。

(議長)事務局、次回からよろしいか。

(事務局)事務局では1週間前には届くように考えていたが、今回は最後の最後まで手直しが入り遅くなった。

(議長)それでは事務局から答申案の読み上げをお願いする。

(事務局)(答申案読上げ)

(議長)それでは2件の文化財について案のとおり答申する。

13 文化財保護審議会の閉会

 午後3時30分