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文化財保護審議会 平成27年度第1回開催結果

更新日:2015年8月4日 印刷ページ表示

1 日時

 平成27年8月4日(火曜日)午後1時30分から午後3時50分

2 会場

 県庁29階 第一特別会議室

3 出席者

 大平良治会長、戸所隆副会長、染川香澄委員、野田香里委員

4 事務局出席者

 吉野勉教育長、洞口正史文化財保護課長、羽鳥尚之埋蔵文化財主監、五十嵐洋次長、

 文化財活用係:南雲芳昭補佐(係長)、飯森康広主幹、齋籐英敏指導主事、橋本淳指導主事、田島輝之指導主事、小林正副主幹、長谷川博幸指導主事

 埋蔵文化財係:桜井美枝係長

5 文化財保護審議会の開会

 午後1時30分

6 主催者あいさつ

 群馬県教育委員会教育長からあいさつ。

7 審議会長あいさつ

 群馬県文化財保護審議会審議会長からあいさつ。

8 議事録書名人選出

 議長が今回の議事録書名人に染川委員を指名。

9 傍聴人の報告

 文化財保護次長が傍聴人は2名であることを報告。

10 傍聴制限確認

 文化財保護課埋蔵文化財主監から、審議事項と部会報告については非公開、その他については公開とする提案がなされ、委員から承認された。

11 報告事項

  1. 平成27年度文化財保護課主要事業について
  2. 群馬県指定の文化財の保存事業について
  3. 群馬県指定の文化財の現状変更等について
  4. 国県指定等文化財件数について

(審議委員)上野国分寺跡の来場者が多くなっていることは関係者の努力の賜だと思うが、現在の風景と昔の在りし姿を重ね合わせるような気持ちに結びつくことが望ましい。地域の方々がもっと訪れやすくなるよう工夫することが、郷土愛や原風景につながると思う。

(事務局)子供達が郷土を愛し、郷土に誇りを持ってもらえるというのは、まさに文化財部局が目指しているところ、色々な文化財を紹介・活用する際に目的としているところである。現在の発掘調査後に報告書を刊行するが、どのような整備が上野国分寺跡の魅力を上手く伝えられるのかを検討したい。

(審議委員)文化財の価値を認め、どう保存していくかの部分については確認できたが、現代社会と文化財の関係をどういう風に発信していくかというあたりが弱いのではないかと感じる。社会に文化財の重要性をどのように周知し、学校教育、社会教育と結び付けながら保存していくか、より効果的に保護していくのかというあたりを、もう少し整理する必要がある。

 そこで質問だが、文化財保護基本計画のようなものはあるのか。

(事務局)他部局との連携を取っていく中で、文化財の人間がどういう気持ちで文化財を扱おうとしているのか、基本のルールを作っていかなければならないと思っている。出来るだけ早く体制を作っていきたい。

(審議委員)例えば、これから20年先、群馬県として文化財保護をどういう風にするかという将来目標、年度ごとの事業計画、そこに至るプロセス、他部局との整合性、このあたりが上手く出来てないということか。

(事務局)単年度の計画、それぞれの文化財についての中期・長期計画の集合体が文化財保護行政というのが、今のところの実態だと思う。全体的な見通しを持ったビジョンが出来きらないところである。

(審議委員)文化に関するものが色々な部局に分散した結果、文化財保護課はただ保護をやっていれば良いとされる可能性がある。ソフト面をきちんと押さえた基本計画を作る必要がある。

(事務局)我々も意識を持って取り組んでいる。いくつかの県では、審議会でマスタープランのようなものを作ったり、建議をしていただいているパターンもあり、研究しながら進めていきたい。

(議長)県の総合計画、はばたけ群馬プランが新しくなることは、文化財保護課の総合計画作成の端緒になると思う。文化財保護課はそういう所で総合性を発揮してもらいたい。

(審議委員)県立歴史博物館が今、閉館中でリニューアルオープンの展示を考えている。工事も始まっており、県全体としてどのような博物館にするのか、博物館としての役割や文化財保護課としての役割を確認し合うことが大事だと思う。

(審議委員)物事で何が一番重要かを考えるとき、目的・ビジョンが一番重要であるが、それが計画になり、各々の担当まで来ると、実施することが重要になってしまうことがある。目的の作成が仕事の80パーセントで、実施が20パーセントであると思う。目的に時間を割いて、そこを詰める作業が重要であって、そこが決まれば後はいかようにでもなる。目的・ビジョンが総合計画になるかもしれないが、それに時間をかけていただきたい。

(議長)この後、専門部会報告を行い、次に審議事項となっているが、審議時間を十分確保するため、審議事項を先に行い、専門部会報告を後にしたい。

(委員の賛成)

12 審議事項

 教育委員会から審議会あてに「飯塚家文書(いいづかけもんじょ)」の追加指定及び「中之条町の鳥追い祭り(とりおいまつり)」の指定についての諮問通知が出された。それに対し、審議会より歴史資料専門部会及び無形文化財・民俗文化財専門部会あてに調査依頼が行われ、両専門部会長より調査報告があった。

(飯塚家文書の追加指定)

(歴史資料専門部会長)歴史資料部会において現地調査その他必要な調査を実施し、慎重に検討したところ、群馬県指定重要文化財の要件を満たす文化財的価値を有すると認められたので報告する。

(事務局)飯塚家文書は藤岡市鬼石町三波川の飯塚家に伝来した戦国期から昭和期に至る総数2万点、通数では18,115通を超える文書群である。飯塚家当主が戦国期から昭和期まで一貫して三波川村村政を担ってきたため、戦国期文書が残され、さらに自宅に役場を置いていた江戸時代から昭和戦前期までの村政文書が継続的かつ大量に残されている点である。この点が評価されて平成12年度に17,240通が県指定重要文化財に指定されている。

 今回の審議事項は、同家文書の整理・発見によって平成12年度には指定されていなかった文書899通の追加指定である。江戸時代の三波川村の山崩絵図や、明治12年の三波川村収穫量を示す戸長役場文書、天保5年から昭和32年に及ぶ飯塚家の林業経営が判明する林帳、江戸時代後期後の江戸あるいは関東周辺の著名俳人の短冊が多数貼付された「排諧短冊貼付折本」江戸時代の高札3枚などが含まれる。

 総通数は、平成12年度に文化財指定された17,240通の中に、24通の写真版が含まれていたため、これを除外し今回新たに899通を追加することにより、総通数18,115通となる。

 今回の899通は、いずれも同一出所で飯塚家文書を構成する物であり、全てを合わせて飯塚家文書の全体像が見えてくるものであり、前回指定された物と同等に重要なものであると考えている。

 指定基準は、群馬県指定重要文化財の指定基準第4号の(1)(4)に該当する。第1、群馬県指定文化財の指定基準。4、古文書の部、(1)古文書類は群馬県の歴史上重要と認められるもの、(4)古文書類、日記、記録類等で歴史的または統計的にまとまって伝存し、学術的価値の高いもの、である。

(歴史資料専門部会長)由来及び沿革だが、先ず飯塚家について説明したい。飯塚家は戦国時代の在地の武士で非常に長い歴史を持っている。三波川は江戸時代は緑埜郡三波川村で、戦後鬼石町と合併した。地元では三波川の殿様と言われ、戦国時代には武士、江戸時代には名主、明治・大正・昭和、戦前期には戸長や村長、県会議員など地域の要職を務めた。特に飯塚志賀(いいづかしが)さんが有名で、県会議員を何期も務め、第17代の県会議長を勤めた。群馬県の山林会長もしている。桜山公園の生みの親としても有名である。

 飯塚家文書の価値は、大きく三つにとらえている。一つめの価値は、戦国期から、昭和の30年代まで資料が入っているということで、非常に長い期間、一軒の家で代々受け継がれた資料がきちんと保存されているということである。

 2点目は、約2万点と、非常に膨大な量であることだ。県内の歴史資料ではトップクラスの資料群が、そろって1軒の家に有るのが非常に大きな価値がある。

 3点目は、内容を調べてみると、隠れキリシタンの資料が多く、非常に注目されていることだ。山間の地なので残ったのではないかと思う。

(議長)隠れキリシタンの資料も含まれているのか。

(歴史資料専門部会長)隠れキリシタンでは無いと証明した類族帳、戸籍関係が残っている。また「家抱(けほう)」と言って、その家に代々ついているお百姓さんの資料が有ると言うことでも注目されている。それから、江戸時代から昭和30年代まで残っている林業経営の歴史は非常に注目される資料である。

(議長)ただ今の説明に関して、質問等をお願いしたい。

(審議委員)内容的には問題無いと思うが、2点お聞きしたい。

 1点は、写真版は24通だと思うが、県としては、写真も重要と考えて指定したのか。

(事務局)間違っていたのは総数だ。17,240通で指定したが、実際は指定しなくても良かった写真が含まれてしまっていた。本来は写真を除いた数で指定するべきだったが、写真版も入ってしまっていたため、今回、本来の文書数に合わせて整えたということだ。

(審議委員)もう1点、この種の物は旧家の場合、また出る可能性もあると思う。出てきたら自動的に指定になるのか、そのたびに追加指定するのか。

(事務局)例えば、仮に土蔵などから見つかったらとの可能性の話だと思うが、今回がそうであるように、また飯塚家から新しい文書が見つかったということであれば、今回のように追加指定の手続きを踏ませていただき、飯塚家文書一体の物として保護を行いたいと考えている。

(議長)では、「飯塚家文書」について、追加指定することが適当であると答申してもよいか。

(委員の賛成)

(議長)では全会一致で「飯塚家文書」について、追加指定することが適当であると答申したい。

(中之条町の鳥追い祭りの指定)

(無形・民俗文化財専門部会長)無形・民俗文化財専門部会において現地調査その他必要な調査を実施し、慎重に検討したところ、群馬県指定重要無形民俗文化財の要件を満たす文化財的価値を有すると認められたので報告する。

 旧中之条町の市街地は吾妻川と名久田川の合流地点にあった尻高氏の居城の根古屋集落として出来たものだが、天正8年に真田氏によって攻略された後、江戸時代に入ると寛永年間に沼田藩真田氏により町割りが行われて中之条町が誕生した。まもなく真田氏から市を開くことを許され、六斎市が行われ、市場町として栄えた。明治に入るといっそう商店街化が進みこの地域の中心として栄えてきた。

 一般に鳥追い行事は、主として農村部で、模擬的な所作によって食物の害鳥を追い払う為に行われるものである。その際、鳥追い歌を歌ったり、物をたたいて音を出したりして鳥を追う。群馬県内では県西部、西上州に多く伝承されており、音を立てる物としては太鼓が使われているのが特徴的である。鳥追い歌も中之条町のものを除いて一つの類型しか分布していない。

 中之条町の鳥追い祭りは、新暦の13日の宵祭りと14日の本祭りから構成されているが、中之条町の場合は市場町であり、現実の田畑の害鳥というより、害鳥に象徴される災厄を払う意味が濃くなっている。また太鼓もきわめて大きな11張りが叩かれ、引き回され、そういうところにも特徴が有る。

 鳥追い祭りは市街地を形成する8つの組織から成り、その中の一つの町が毎年持ち回りで、当番町となってそこが中心となって運営されるという、町的な特徴が有る。祭りの歴史起源については、鳥追い祭りに使われている太鼓の最も古い物の胴の中に宝暦13年(1763)の銘文があり、そこから既に行われていたと考えることが出来る。運営組織は、大字中之条町の上之町、仲之町、志茂之町、竪町、王子町、宮元町、小川町、西中之条町の田町を加えた8町である。町内組織をまとめるのは「頭(かしら)」と呼ばれる役職である。全町内をとりまとめて祭りを仕切るのは、1年交代で8町が順番に務める当番町の当番頭、その下にいる当番若世話頭である。

 1月14日本祭りの前の13日午前中、台車に鳥追い太鼓をのせて樫の枝、オカメの面、扇、日の丸の旗で飾り付ける。午後は宵祭りと称して各町内が太鼓1張りを引き、太鼓をたたいて町内を巡行する。14日早朝に5町内の頭と若頭が大字中之条町の伊勢宮に集まって神事を行い、御神火を伊勢宮の祭長、副祭長からもらって、午前6時にそれぞれの町で年男や若い衆によって点火される。どんど焼きが終了したあと、午前9時頃に全町内の関係者が集まり、牛頭天王の御輿が安置された御旅所で代表者の修祓が行われる。その後11張りの太鼓が伊勢宮の境内に移動して一斉太鼓になる。当番若頭が歌う鳥追い歌に合わせて太鼓を叩く。一斉太鼓の後に中之条町を巡行する。それぞれ、町の決められた場所で一斉太鼓を行い、前年の当番町が一番大きい太鼓を叩く。続いて厄年の人が、商店などから奉納されたミカンでミカン投げを行う。これも厄除けである。終わると茶、酒、おでん、漬け物などが振る舞われ、休憩を取って次の町内に移動する。8町を巡行すると夜の8時頃になり、巡行終了後、各町内単位で頭、若世話頭、副頭を先頭に若い衆が、天王様の御旅所で手打ち式を行う。町長や氏子総代が挨拶をして手締め式を行う。その後、頭、若世話頭が太鼓を収納して鳥追い祭りが終わりになるが、その後、打ち上げの宴であるドウギョウバライが各町内で行われ、さらに次の日全町をあげてのドウギョウバライが行われる。概要は以上である。

 指定理由。1点目、群馬県西部の農村部に広く伝承される鳥追い行事に共通する「小正月に鳥追い歌を歌いながら太鼓を叩き、害鳥を模擬的に追い払う予祝行事」という性格を継承しながらも、頭を中心とする町内組織によって運営され、飾り付けられた大型の太鼓が多数巡行する「見せる祭り」として独特の展開を示しており、町場において伝承される鳥追い行事として顕著な特徴を有すること。

 2番目として、鳥追い太鼓の紀年銘により、この行事が宝暦13年まで遡れることがわかるとともに、幕末における太鼓の大型化の流れが年代的に把握でき、貴重である。この2点である。

 以上により、群馬県指定重要無形民俗文化財の指定基準1「風俗習慣」(1)「由来、内容等において群馬県民の基礎的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの」に該当し、群馬県指定重要無形民俗文化財として指定することが妥当であると無形民俗文化財専門部会において判断した。

(議長)ただ今の説明に関して、質問等をお願いしたい。

(審議委員)何点かある。一つは、群馬県の西部農村部に広く伝承とあるが、一般的な地域の普遍的なものとしての代表として重要性があるのか、中之条町の特色があるのかというところに強さがあるのか。もう1点は、どんど焼きについて、町場の場合、指定したときに継承性、守っていってもらうことが必要かどうか。付近の住民の反対で、なかなかどんど焼きが出来ないということが起こっている。もう1点は、町場の見せる祭りというのは、観光客がかなり来られているのか。それによって永続性が出てくるのだと思う。

(無形・民俗文化財専門部会長)まず1点目、指定に絡む重要な点だが、今回、専門部会では、この地域の特に吾妻郡の鳥追い行事を調べた。農村部、特に旧六合村などでは典型的に残るが、害鳥のためという気持ちでやっている。ただ群馬県全体で見ても特徴的なのは、太鼓を叩くこと、どんど焼きも含めて厄除けの意味をかなり強く持っているのが吾妻郡で共通する。ただし今回の指定については、中之条町という市場町の鳥追いであるということで、町場として農村部に本来あったものがどのように変わってきたかという点でいくと、頭を中心とする運営組織、太鼓も1メートルを超える非常に大きな物を11張りもつくり町場ならではの展開を遂げている。そこが特徴的である。

 2点目のどんど焼きは、現地でも非常に苦慮している。昭和30年代に一度祭が途絶え、50年代に復活したが、場所の問題があって、町内でも少し離れたところでやる努力などをしており、今のところ、すぐに無くなるものではないと感じている。

 観光客のことは難しいけれども、重要なことであり、町場で続けていくには、見せる、見られる事がモチベーションにもなっていく。今年の祭りを見る限り、カメラマンも含めて、観光客がかなり来ている。今後は、若者が少なくなっていく中で、どう維持していくのかという問題もあるが、今のところ、町内出身者を集めたり、隣町との協力など、いろいろな事を考えながら各町内持続しようと努力していると思う。

(審議委員)文化財指定を通じて上手く関心を高めながら出来ていけば良いなと、個人的に感じた。

(事務局)無形文化財の保護は難しい問題である。どういうふうに守っていくのかということ、文化財保護課に出来る支援の方法も考えていかなければならない。鳥追い祭りの場合は、太鼓本体は重要有形民俗文化財として指定がされている。

(審議委員)ルーツとなる農民の叩く小さな太鼓ではなく、あえてこのように発展した形の物を指定したという事だが、ルーツになる物を指定するという考え方もあったのではないか。

(無形・民俗文化財専門部会長)その通りで、今回は事務局の話のように、太鼓そのものが重要有形民俗文化財になっていて、町場で特徴的に発展したという事だったが、議論の中では、もちろん鳥追いは本来農村のものということなので、農村部の鳥追いまつりの典型的なものの指定を考えていく必要もあるのではないかという議論があった。そういう方向で部会としても、今後継続して考えていくつもりである。

(議長)では、「中之条町の鳥追い祭り」について、指定することが適当であると答申してもよいか。

(委員の賛成)

(議長)では全会一致で「中之条町の鳥追い祭り」について、追加指定することが適当であると答申したい。

 答申案の細かい文言については、審議会長に一任をお願いしたい。9月の教育委員会会議に答申する。

(審議委員)先程の鳥追いだが、説明の中の中之条町というのは保存会の所在地なのか、やるところなのか。

(事務局)保存会の所在地である。

(11 報告事項(5)専門部会報告)

(議長)各専門部会の報告について特にないか。

 以上をもって予定された議事を全て終了したい。進行を事務局にお返しする。

13 文化財保護審議会の閉会

 午後3時50分